十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

ムッシュー・ルコックへの助走: 2. ルコック年代記(私案)

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ガボリオのルコック・シリーズの記述を元にして、年代記を作ろうとすると、困難にぶちあたる。

以下、タイトルは略称&連載開始年でお届けします。
1 ルルージュ事件(1865連載、1866出版) 『ルルージュ65』
2 オルシバルの殺人事件(1866連載、1867出版)『オルシバル66』
3 ファイルナンバー113(1867連載、1867出版)『百十三67』
4 巴里の奴隷たち(1867〜1868連載、1868出版)『奴隷67』
5 ムッシュー・ルコック(1868連載、1869出版)『ムッシュ68』

 

全体的に、舞台は第二帝政時代だと思われる。『ルルージュ65』、『オルシバル66』、『百十三67』、『奴隷67』、『ムッシュ68』全てのルコック・シリーズに「帝国検事(le procureur impérial)」が登場するからだ。この役職名は帝政時代に限られる。つまり遡っても1850年までだ(なお第二帝政は1870年に終わった)。

これを前提に、まず問題のない作品から決めていこう。

 

『オルシバル66』の作中現在は冒頭に一部ぼかして Le 9 juillet 186.., un jeudi (18xx年7月9日、木曜日)とあるので、日付と曜日が合致する直近の1863-7-9木曜日が最有力候補。 次席は1857年。
ルコックは変装の名人なので、見た目はあんまりあてにならないが、素顔は「35歳(un beau garçon de trente-cinq ans)」と地の文で書かれている。警察稼業は「十年になる(depuis dix ans)」と本人が語る場面がある。ルコックは要請を受け、本部から所轄に派遣された治安局刑事。『ルルージュ65』でもジェヴロルとルコックは要請を受けて本部から出張って地元警察を助けている。

 

『百十三67』は冒頭にmardi  28  février 186..(186x年2月28日火曜日)とあり、直近で該当するのは1865年。1860年も候補。1854年も日付と曜日は一致する。ルコックはかなり自由に活動しており、自分の権限で、配下に指示したり、自分で動いたりして、かなりの上級職員だと思われる。ルコック自身はl'agent  de  la  sûretéと自己紹介しているのだが…

 

『奴隷67』の冒頭の日付8 février 186..(186x年2月8日)には曜日が欠けている。話の流れで、特定年(1864)から2年以上が経過しているのは確実なので、1867年2月8日だと思われる。この作品でも『百十三67』と同様、ルコックは誰の指令も受けず、自由に活動している(大長篇なので、細かいチェックが未完了ですが…)。

 

非常に問題が大きいのは『ムッシュ68』である。
冒頭はLe 20 février 18.., un dimanche, qui se trouvait être le dimanche gras(18xx年2月20日、日曜日、謝肉祭の日曜日だった)である。ああ、これなら「謝肉祭の日曜」(dimanche gras、英語ではShrove Sunday)という格好の手がかりがあるので、特定は可能だろうなあ、と思った。だが2-20が謝肉祭の日曜で1850〜1868の範囲にある年は存在しない。


もう一つ重要な月日があって、4月14日が復活祭休暇明けの最初の月曜、との地の文の記述がある。ということはその年の復活祭(日曜日)は4月6日(あるいは可能性は低いが4月13日。何故なら現在の慣習なのだが、復活祭休暇は復活祭直後の月曜日も含んで休むから。1850年代の慣例はよくわからず)のはず。だが、復活祭が4/6または4/13で、かつ1850〜1868の範囲にある年も存在しない。(過去の復活祭が一覧できるサイトを見つけたのでご紹介。すごく便利)

 

となると、別の面から『ムッシュ68』の作中現在を推定してみよう。『奴隷67』に出てくるトト・シュパン(un affreux garnement d'une vingtaine d'années「二十歳くらいの男」と地の文にあり)の幼年時代が『ムッシュ68』に描かれている。そこでは『五歳に満たない(qui n'avait pas cinq ans)』とあるので約15年前の話だ。となると『奴隷67』の1867-15=1852となる。1852年の謝肉祭の日曜は2-22、復活祭は4-11、いずれも本文と同じではないが近い。
以下 1850年からの謝肉祭の日曜と復活祭を並べてみた。
1850年 謝肉2/10 復活3/31
1851年 謝肉3/2   復活4/20
1852年 謝肉2/22 復活4/11
1853年 謝肉2/6   復活3/27
1854年 謝肉2/26 復活4/16
1855年 謝肉2/18 復活4/8
謝肉祭が2月で、復活祭が4月の組み合わせは1852年、1854年1855年だが1867年20歳なら1854年は7歳、1855年は8歳になっちゃってちょっと都合が悪い。1852年が一番しっくりくる。

 

じゃあ1852年なのだろう、となりそうだが、第二部の記述で地獄を見るのだ。
第二部で20歳くらい、とされている重要人物A(ネタバレ防止で匿名)の年齢が第一部では地の文で42歳と明記されている。第二部の舞台は1815年〜1816年である。という事は第一部は1837年頃の世界になってしまう。もう一人の重要人物Bは生年が第一部で1791年だと公的資料に基づく発言があり、本人は第一部で45歳と公言している(これはサバ読んでる可能性も否定出来ない)。もし第一部が1852年なら、その時点で61歳… うーん。サバ読んでなんとかなる感じが全然しないなあ。もちろん第一部が1837年頃ならば、46歳くらいになるのでちょうど良い。

 

だが第一部の世界は明白に1850年以降である。他にも状況証拠があるのだ。
(i) 第一部第一章に登場する五連発リボルバーは米国でコルト・パターソンとして市販したモデルが世界最初で1847年の開発。とするとフランスでも普及してる状況は1850年以降が相応しい。
(ii) 第一部第六章に登場する「ユグーランの技法」は1855年に論文化されているが、1850年の実践結果が元になっているようだ(原論文にあたっていない)。タバレも『ルルージュ65』でこの技法を使っている。
つまり、第一部の記述(1852年の世界)と第二部の記述(第一部は1837年の世界)の間で約15年の断裂が出来てしまっている。

 

無理やり解決しましょう。最小限一か所の本文訂正でイケますよ!
重要人物Aの「42歳」は第一部の一か所に出て来るだけ。ここをうっかり誤りと認定して「55歳」程度に直す。重要人物Bの61歳は、実は第二部で彼の父親が「57歳なのに、とてもそうは見えず、鉄の体力を保っている」と地の文で書かれているから、この肉体は息子にも遺伝していて、45歳と自称しても警察でも気づかなかった、というゴマカシで勘弁してくださいな。
これであと一つだけ気になるのは、第二部で生まれた人が36歳になっちゃって、かなり育ちすぎだなあ、ほんとは20歳くらいにしたいよねえ… まあ表に出てこないので気にしないでね(このネタは最後まで読まないとわからないと思います)という感じです。Nobody's perfect!

まあ本当は第一部に大ミスがあって、1859年に新区制で創設されたパリ十三区が堂々と出て来る。全部台無しだ!(まあそこは「現在の第十三区」と書きたかったのでしょうね)。

 

残るのは、『ルルージュ65』だ。
この作中現在は、冒頭にLe jeudi 6 mars 1862, surlendemain du Mardi gras(1862年3月6日木曜日、マルディ・グラの翌々日)とある。現実の1862-3-6も木曜日で、1862年のマルディ・グラも3月4日であっている。じゃあこれで確定、のはずだが…

 

ルコックとジェヴロルの設定が『ムッシュ68』と大きく違う。
『ルルージュ65』ではルコックは「元は前科者(un ancien repris de justice)」とあるが、『ムッシュ68』では犯罪を空想したことがあるだけの貧乏青年である。
『ルルージュ65』のルコックはタバレの取巻きで、推理の閃きは全く見せず、助手の役割しかやれない無能。『ムッシュ68』の素晴らしい探偵能力は何処へ行った?

『ルルージュ65』のルコックは、上司のジェヴロルにいちいち突っ掛かり、生意気な口をきくだけのチンピラ刑事である。『ムッシュ68』では内心反発しながらも、丁寧にジェヴロルに対応していたルコックなのに…
ジェヴロルは『ルルージュ65』では「将軍」とは呼ばれることはない。卓越した顔の記憶能力を持っていて、目を見れば判別できるよ、と豪語したので、目だけ出した状態の犯罪者の名前を次々と言い当てる実験が行われたほどである。『ムッシュ68』では45〜46歳とされ、「将軍」のあだ名で親しまれているが、驚異的な顔の判別能力は全く出てこない。

ムッシュ68』が1852年だとすると、1862年の『ルルージュ65』で十年も経過してるのに、ルコックの無能ぶりは実におかしい。そして一年後の1863年『オルシバル66』では、再び有能な探偵に戻っている。

じゃあ1862年という記述が間違っているのだろう。他の年で、3月6日木曜日、マルディ・グラの翌々日に合致するのを探すと、1851年がピッタリ一致する。

 

じゃあ通説と異なり『ルルージュ65』の方が早いのか?
ムッシュ68』では曖昧に、ルコックは「この事件が≪la partie≫(本試合?)の最初だった」と書いているだけである。明確に「最初の事件」とい書いてある訳ではないのだ。『ムッシュ68』には「出世を夢見て今まで頑張って来た、やっとチャンスが来た」という記述もある。つまり現場はそれまでに何度も踏んでいるのだ。


『ルルージュ65』を1851年の事件と訂正すると、こういう並びになる。

1851年3月『ルルージュ65』
1852年2月『ムッシュ68』 ルコック25〜26歳と明記。警視庁に入って最初に「担当」した大事件。入庁前五年間は天文学者のところで働いていた。ジェヴロル「将軍」は45〜46歳。ルコックは最後に昇進する(階級は書いていない)。トト・シュパン五歳未満。
1863年7月『オルシバル66』ルコックの素顔が35歳と表現。警察活動十年が過ぎたと回想。
1865年2月『百十三67』
1867年2月『奴隷67』トト・シュパン二十歳くらい。
わりと原テクストと矛盾なく並んだのではないかなあ。ルコックの生年は1826年となる。

 

ルコックの未熟ぶりは『ルルージュ65』の方が著しく、とても『ムッシュ68』の刑事と同一人物に思えないくらい性格の違いがある。まあでも、二つの長篇のキャラが同一だと、無理に理屈づけするならば、『ルルージュ65』でタバレの手法を目の当たりにして大ショックのちんぴらルコックが、一念発起で猛勉強して、一年後タバレの後継者と思われるような実力をつけて、大チャンスの事件に遭遇した… という感じでいかがでしょうか…

 

なお英文サイトでTHE MONSIEUR LECOQ CHRONOLOGY by Rick Lai がある。 https://www.pjfarmer.com/woldnewton/Lecoq.htm

ここでは

1859 『ムッシュ68』※この年の謝肉祭の日曜は3/6、復活祭は4/24で両方とも本文と大幅に異なる。

1862 『ルルージュ65』

1864 『オルシバル66』

1866 『百十三67』

1867 『奴隷67』

という説。これじゃあルコックの年齢とかトトの年齢が全然合わないよね。

まあでも従来説はだいたいこんなところだろう。