

(上) Les Tuileries 1850年ごろ。手前がチュイルリー宮殿、すぐ奥がルーブル宮殿。左横の大通りがリヴォリ通り。司法宮は画面中央右のシテ島の手前側にある。
(下) Le pont au Change、画Angelo Garbizza (1777-1813) 1800年ごろか。左側の建物は司法宮。現在の橋は1858-1860に架け替えられたもの。
XXXV
セーヌ県裁判所所属の予審判事が、ある刑務所(ただし、司法宮と直接繋がっている「監獄」を除く)に収監されている被告を尋問する場合、手続きは次の通りである。 ≪35-1≫
判事は、執達吏に「出監命令書」を渡す。その有無を言わせぬ簡潔な書式だけで、予審司法官の絶対的権限が十分に感じられる。≪35-2≫
※ ordonnance d'extraction: 身柄を護送する命令書。
書式は次のとおり。 ≪35-3≫
「×××拘禁施設の長は、本命令の持参人に、×××事件の被告、姓名×××を引き渡し、司法宮の我が執務室まで連行し、我が面前に出頭させるべし。その後、当該拘禁施設に再び収監せよ」≪35-4≫
※ Le gardien: ここでは、予審判事の命令の受任者なので、ただの「看守」ではなく組織のトップを指す。
※ maison d'arrêt: 「拘禁施設」とした。刑務所、拘置所、監獄の総称なのだろう。
それ以上でも、それ以下でもない。署名と公印で、誰もが直ちにこれに従う。 ≪35-5≫
しかし、この命令書を受け取った時点から、再収監の瞬間まで、拘禁施設の管理者は責任を免除される。何が起きても、彼は無関係と主張出来るのだ。 ≪35-6≫
そのため、全くどうでも良いコソ泥一人の移送でさえ、どれほどの煩わしさ、どれほどの儀式、どれほどの警備が必要なことか。 ≪35-7≫
指定された被拘禁者は、オルロージュ河岸やサント・シャペルの中庭に常駐している、あの陰鬱な護送車の一台に乗せられ、その者の収容区画に厳重に閉じ込められる。 ≪35-8≫
※ la Sainte-Chapelle: 元は王宮礼拝所。フランス革命時には一部が破壊された。本書の当時は修復中で1863年工事終了。独立した宗教施設ではなく、司法宮を構成する建物群の一部となっている。「連載40」の平面図の右下。
この馬車は彼を司法宮まで運び、そこでは、尋問の順番が来るまでの間、昔から「ネズミ捕り」と呼ばれる陰鬱な一時拘置所の独房に、彼を放り込んでおくのだ。 ≪35-9≫
※ prison d'attente: 「ネズミ捕り」はあくまでも一時的な待機場所のようだ。
被告が馬車に乗り込むのは、必ず拘禁施設の敷地内であり、馬車から降りるのも、必ず全ての出入口が閉鎖され、警備が万全な中庭である。 ≪35-10≫
乗車の際も、降車の際と同じく、囚人は刑務官たちに囲まれる。 ≪35-11≫
移動中は、看守たちが数人、各収容区画を隔てる通路に配置され、他数人は御者近くの席で目を光らせている。 ≪35-12≫
さらに、パリ衛兵騎馬隊が、ずっとこの馬車を護衛しているのだ。 ≪35-13≫
そのため、最も大胆で知恵の回る悪党どもでさえ、この移動中の動く牢屋から脱出することはおよそ不可能だとすっかり諦めている。 ≪35-14≫
当局の統計によると、この十年間で脱走未遂はわずか三十件しか記録されていない。 ≪35-15≫
この三十件のうち、二十五件は話にならないほど他愛のないもので、四件は、実行者が期待を抱く前に発覚した。たった一件、白昼にリヴォリ通りで起こったグルディエの事件だけが、成功しかけた。彼は、走り去ろうとする馬車から五十歩逃げたところで、巡査に捕まった。 ≪35-16≫
※ Gourdier: 調べつかず。架空と思われる。
※ rue de Rivoli: 司法宮のあるシテ島から近い、パリ中心部を東西に貫く大通り。
しかしながら、このような全ての状況を考慮した上で、メの脱獄計画は成り立っていた。ルコック自身が率直に認めていた通り、子供騙しのように単純な計画である。拘禁施設から出る際、メの収容区画の扉をわざと閉め損ねておくのだ。馬車は「ネズミ捕り」に積荷の悪党どもをすっかりぶちまけると、いつものように河岸に回り、帰りの時刻まで待機するが、中に残った彼を忘れて放置するという段取りだった。 ≪35-17≫

Voiture à cheval, Le Dépôt, Palais de Justice, île de la Cité. Paris, 撮影Albert Brichaut, 1860年頃。中央の扉は監獄に続いているのだろう。馬車は護送用のもの。御者は馬車の上に座っている。先の方にぼやけて見えるのは警備員たちか?囚人を監獄に収容した後の情景だろうか。
被告がこの手落ちをすぐに利用し、逃げ出すだろうという賭けは、百に一つも外さないものと思われた。 ≪35-18≫
かくして、ルコックの意向に沿って、全てが準備され、手配された。彼が指定した日は、復活祭休暇明けの最初の月曜日だった。 ≪35-19≫
書式通り出監命令書が作成され、極めて詳細な指示とともに、機転の利く看守長に交付された。 ≪35-20≫
自称旅芸人を移送するために手配された護送車が、司法宮に到着するのは正午頃になる予定だった。 ≪35-21≫
だが九時を過ぎたばかりだというのに、パリ生粋の悪ガキどもの一人が、警視庁の辺りをぶらついていた。海の泡からヴィーナスが生まれたという神話を信じてしまいそうになるほど、本当に下水溝の汚れたあぶくから湧いて出たように見えた。 ≪35-22≫
身につけているのは、粗末な黒いウールの作業服に、酷くぶかぶかの格子柄のズボンで、それを腰あたりの革ベルトで締めている。ブーツを見れば、郊外の泥の中で猛烈に駆け回ったことが明らかで、鳥打帽は非常に薄汚れていたが、真紅の絹スカーフだけはお洒落に結ばれていて、きっと恋人の贈り物なのだろう。 ≪35-23≫
顔は死人のように青白く、目に隈があり、目つきは胡散臭く、髭の剃り跡はまばらだった。こめかみに張り付いた黄ばんだ髪は、うなじの上あたりで水平に切り揃えられ、下は綺麗に刈り上げられている。あらかじめ死刑執行人の手間を省いてるみたいだった。 ≪35-24≫
※ épargner de la besogne au bourreau: (以下、未確認のGemini訳註) ギロチンにかけられる死刑囚は、刃が首にきれいに落ちるように、執行人によってうなじの髪を短く刈り上げられた。
彼の歩き方、腰の振り方、肩の動きを目にしたり、タバコを持つ様子や、歯の隙間から唾を吐く様子を見れば、あのポリット・シュパンでさえ、その男を自分の友達、仲間(カマロ)、兄弟分(ジグ)として手を差し伸べただろう。 ≪35-25≫
※ camaro: (以下、未確認のGemini訳註) camarade(仲間)の崩れたもの。
※ zig: (以下、未確認のGemini訳註) zigouilleは気心の知れた奴、相棒、兄弟分。
四月十四日、その日は快晴で、空気は暖かく、地平線の辺りでチュイルリー宮殿のマロニエの梢が緑色に輝いていた。この厄介者は、生きているだけで満足し、何の仕事もしていないことに幸せを感じていたに違いない。 ≪35-26≫
※ 14 avril: 十九世紀で「四月十四日」が復活祭明けの月曜日となるのは1873、1879、1884だけ。復活祭の一週間後の月曜日でも1806、1817、1828、1890だけ。本書の作中現在と想定される1850〜1868の範囲には全く該当がない。
※ Tuileries: 1871年火災で壊滅。現在のチュイルリー公園。司法宮からは500mほど西側。
朝早くから、後ろ暗い人々の足跡が残るオルロージュ河岸を、男は行きつ戻りつしていた。通行人と、セーヌ川で河砂を浚う人たちの両方をチラチラ見ている。 ≪35-27≫
※ pieds honteux: (以下、未確認のGemini訳註) 「多くの恥ずべき足」裁判所や警視庁、あるいは監獄に呼び出されたり、釈放されたり、身内の面会に来たりする「世間に顔向けできない後ろ暗い人々(容疑者、前科者、その家族など)」の足跡のこと。
※ tireurs de sable: (以下、未確認のGemini訳註)「砂を引く者」、セーヌ川の底から建築用などの砂を浚って売りさばいていた業者(川泥棒まがいもいた)。
時々、男は道路を渡って、身なりがきちんとした、眼鏡で長い顎髭の立派な老紳士に何か話しかけていた。絹の屑糸(フィロゼル)で編んだ手袋をはめた、小金持ちの隠居の風貌で、眼鏡店の方を特に興味深そうに見ていた。 ≪35-28≫
※ filosèle: 絹の屑糸、紡績絹糸。高級な革手袋ではなく、少し安価な絹糸で編んだ手袋をしていた、という描写。
何度か、治安局捜査官が報告に行くため近くを通りかかった。すると、隠居か悪ガキのどちらかが相手に駆け寄り、何気なくものを尋ねるのだった。 ≪35-29≫
治安局の男は答えて通り過ぎたが、仲間二人の方は合流すると、笑いながらこう言った。 ≪35-30≫
「よし!… また一人、俺たちに気づかなかった」 ≪35-31≫
彼らには喜ぶ正当な理由、自慢する切実な動機があった。 ≪35-32≫
交互に声をかけた捜査官十二人から十五人のうち、この二人が同僚のルコックとアプサント親父だと見抜いた者は誰もいなかったのだ。 ≪35-33≫
それでも、間違いなくその二人だった。不測の事態があるかも知れないこの狩りは、野蛮人の追跡のごとく気配を消して、執念深く追い続けることになるはずなので、彼らは武装し、万全の準備を整えていた。 ≪35-34≫
※ sauvages: 野蛮人が追跡するイメージは、クーパー『モヒカン族の最後』(1826)のものと思われる。この小説はフランスでは19世紀を通じて非常に人気があった。デュマ『パリのモヒカン人』(1854-1859)もその小説にあやかっている。
若い刑事の心づもりでは、この大胆な試験の意味は重大だった。 ≪35-35≫
普段の仕事仲間であり、様々な衣装で化けている連中を見抜くことに長けた人々が、彼とアプサント親父の変装に騙されたのだから、メも間違いなく騙されるはずだ。 ≪35-36≫
「ああ!皆が俺だと気づけなくても全然驚かんよ」とアプサント親父は繰り返した。「俺自身が見分けられんのだから! いつも変装したって憲兵風が抜けなかった俺を、人の良い隠居に仕立て上げたのは、あんただけだよ、ルコック殿!」 ≪35-37≫
しかし、使える技かどうかと考える時間はもうなかった。 ≪35-38≫
若い刑事は、護送車が、シャンジュ橋の上を大急ぎの速歩で近づいてくるのを見た。 ≪35-39≫
※ au grand trot: 馬の大急ぎの速歩。
※ pont au Change: 司法宮のすぐ目の前、セーヌ川の右岸とシテ島を繋ぐ橋。
「気をつけろ、じいさん」と彼は相棒に声を潜めて言った。「あいつが来る!… 持ち場へ急げ。指示を思い出して、注目!…」 ≪35-40≫
※ vieux: じいさん。変装に合わせてワザと乱暴に言っているのだろう。ルコックがアプサントをこう呼ぶのはここだけ。ジェヴロルは≪8-42≫で一度、乱暴な感じでvieuxとアプサントを呼んでいる。
河岸のそこら辺には、板塀で半ば囲まれた資材置き場があった。アプサント親父は、塀に貼られた広告の前に行き、その一つを眺めた。ルコックは、置き忘れられたシャベルを見つけて、手に取り、砂をならし始めた。 ≪35-41≫
急いで行動したのは正解だった。 ≪35-42≫
動く牢屋が河岸の角を曲がって来た。 ≪35-43≫
二人の捜査官の前を通り過ぎ、鉄のきしみを大きく立てて「ネズミ捕り」へと続くアーチの下へと吸い込まれていった。 ≪35-44≫
メはあの中だ。 ≪35-45≫
ルコックは、御者近くの席に座る看守長を見て、それを確信した。 ≪35-46≫
馬車は十五分を優に超えて中庭に留まっていた… ≪35-47≫
再び馬車が姿を現したとき、御者は座席から降りて馬たちの手綱を引いていた。 ≪35-48≫
彼は重たい馬車を司法宮の横に寄せ、馬たちの背に毛布を被せてから、パイプに火をつけ立ち去った... ≪35-49≫
長い時間が経過し、観察する二人は不安になり、苦痛を実際に感じるほどだった。何の動きもなく、何の気配もない... ≪35-50≫
しかし、ついに、馬車の扉が、非常に慎重に、そっと半開きになった。そして、青ざめ、おびえた顔が現れた... メの顔だ。 ≪35-51≫
素早い視線で、囚人は辺りを見回した。誰も通っていない。 ≪35-52≫
すると、猫を思わせるしなやかさと正確さで、彼は地面に飛び降り、音を立てずに扉を閉めた。そして、シャンジュ橋の方に歩き出した... ≪35-53≫
※ 初出紙の連載第52回目(1868-7-18)の終わり
(つづく)
コメント欄を設けました。別ページに飛びます。
https://danjuurockandroll.hateblo.jp/entry/2026/02/05/013007
コメントは承認制です。