十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

祝アガサさんデビュー百年越え: 第三弾 つらい1926年

シミルボン投稿日 2022.09.17 (移転ものも、これで最後です)

 

第二弾はこちら

 

番号は前回(第二弾)を継承(8️⃣は新規追加)。

1️⃣『死の猟犬』短篇集1933出版 “The Hound of Death”

2️⃣『リスタデール卿の謎』短篇集1934出版 “The Listerdale Mystery”

3️⃣『マン島の黄金』短篇集1997出版 “While the Light Lasts”

4️⃣『謎のクィン氏』短篇集1930出版 ”The Mysterious Mr. Quin”

7️⃣『愛の探偵たち』短篇集1950年出版 ”Three Blind Mice“(米国版)

8️⃣『クリスマス・プディングの冒険』短篇集1960年出版 “The Adventure of the Christmas Pudding”

 

前回第二弾では「1924年」のアガサさんの状況を書きましたが、『アガサ・クリスティー自伝』では「私生活は順風満帆」のようだったので、根が単純な私はそのように受け取っていました。でもジャレッド・ケイドによると、お金や生活様式などの違いでアガサさんとアーチーの間には口論が絶えなかったようです。まあ夫婦なんですから多少の喧嘩や感情の行き違いは当たり前ですけどね。

 

原書はこちら。増補版(追加のほとんどは、後に発表された公認伝記への反論)

 

さて今回はアガサさんの人生における最大の問題年である1926年(偶然ですがエリザベス二世の生誕年でもあります)に至る流れをご紹介。

 

例によって発表年代順にアガサさんの作品を並べ、年表形式にしてみました。各短篇に付した1️⃣などは上の短篇集、続く( )付き数字は短篇集内の収録順、<>はシリーズ探偵、評価点は10点満点、{ }内は私の感想です。

年表の♠️(出版関係)や❤️(私生活)の記述は、ほとんどジャレッド・ケイド本を元に作成しています。なお月刊誌はひと月前、週刊誌は一週間前に発行されているものとして年表の年月を構成しています。

 

1924年1月ごろか♠️コリンズ社と今後の三冊分の出版契約をしたが、前渡金が各一冊あたり£200(約二百万円)で、印税も新人時代に契約したボドリー・ヘッド社より気前が良かった。 この時点でボドリー・ヘッド社との契約で一冊分の長篇(すでに原稿は渡し済み)が残っており、代理人がコリンズ社との交渉内容を伝えたところ、うちではそんなに出せないので、どうぞご勝手に、という事だったようだ。

 

1925年3月❤️アガサさんは長篇『アクロイド殺し』の執筆に夢中。この頃、夫アーチーが後の不倫相手ナンシー・ニールと知り合う。

 

1925年6月♠️長篇『チムニーズ館の秘密』出版。ボドリー・ヘッド社からの出版はこれが最後。米国出版は同年少し後。(Bill Peschelの注釈本によると原稿完成は1924年1月)

 

1925年6月 The Sign in the Sky (初出The Grand Magazine 1925-7 as ‘A Sign in the Sky’)4️⃣(4)「空のしるし」嵯峨 静江 訳: 評価4点 <クィン> {ごく普通の探偵小説}

 

1925年7月♠️長篇『アクロイド殺し』(Who Killed Ackroyd?)の連載開始(The [London] Evening News 1925-7-16〜9-16) <ポアロ> {この新聞の1920年7月の平均購読数は825,825部とのこと。ロンドンの夕刊紙で最大の部数を誇っていたようだ}

 

1925年9月 Within a Wall (初出The Royal Magazine 1925-10)3️⃣(7)「壁の中」中村 妙子 訳: 評価6点 {何か作者の悩みを表現しているような作品}

 

1925年10月 At the Bells and Motley (初出The Grand Magazine 1925-11 as ‘A Man of Magic’)4️⃣(3)「〈鈴と道化服〉亭奇聞」嵯峨 静江 訳<クィン>: 評価4点 {謎の失踪事件。冒頭以外は平凡}

 

1925年11月 The Listerdale Mystery (初出The Grand Magazine 1925-12 as ‘The Benevolent Butler’)2️⃣(1)「リスタデール卿の謎」田村 隆一 訳: 評価5点 {零落した名家に良い話が… その裏には}

 

1925年11月 The Fourth Man (初出Pearson’s Magazine 1925-12)1️⃣(3)「第四の男」小倉 多加志訳: 評価6点 {列車のコンパートメントで語られる、ちょっと気味の悪い話}

 

1925年12月 The House of Dream (初出The Sovereign Magazine 1926-1 挿絵Stanley Lloyd)3️⃣(1)「夢の家」中村 妙子 訳: 評価4点 {妄想系ファンタジー。作者が若い頃に書いた習作のようだ}

 

1926年1月 S.O.S. (初出The Grand Magazine 1926-2)1️⃣「S・O・S」小倉 多加志 訳: 評価4点{謎のメッセージ。処理は上手くないが緊迫感あり}

 

1926年2月 Wireless (初出Mystery Magazine 1926-3-1)1️⃣(6)「ラジオ」小倉 多加志 訳: 評価5点{当時最新流行のラジオをネタにしたもの}

 

1926年2月 Magnolia Blossom (初出The Royal Magazine 1926-3 挿絵Albert Bailey)3️⃣(11)「白木蓮の花」中村 妙子 訳: 評価6点 {純愛と献身がテーマ。その後の作者の実人生を考えると、非常に興味深いストーリー}

 

1926年春❤️アガサさんは姉のマッジとコルシカ島旅行。最初はアーチーと行くつもりだったが「仕事で」と断られた。この頃長篇『青列車の秘密』の執筆を開始。

 

1926年3月 The Under Dog (初出Mystery Magazine 1926-4-1)8️⃣(3)「負け犬」小笠原 豊樹 訳<ポアロ>: 評価5点 {あまり切れ味の良くない探偵小説。ポアロの従僕が出てくるのは初}

 

1926年4月❤️母の死。アガサさんが相続した遺産は£13527(相続税控除後) 英国消費者物価指数1926/2022(67.94倍)で£1=11225円、総額で一億五千万円。

 

1926年6月♠️ 長篇『アクロイド殺し』(The Murder of Roger Ackroyd)出版。英国、米国とも同月。<ポアロ> {ジャレッド・ケイドは初版4000部はすぐ売れた、と書いている。結局5500部ほど売れたようだ。なお、出版直後の書評が“The Complete, Annotated Murder of Roger Ackroyd” by Agatha Christie, Notes and Essays by Bill Peschel (2022)に集められているが、どれも好意的なもので、アンフェアだと非難しているものは無かった。この中の多くの書評者がMiss Christieと書いているのだが、辞書によると歌手や女優などの独立生計を営む女性の場合は未婚既婚に関わらずMiss呼びで良いらしい}

 

1926年6月 The Lonely God (初出The Royal Magazine 1926-7 挿絵H. Coller)3️⃣(5)「孤独な神さま」中村 妙子 訳: 評価4点 {作者の若い頃の習作が元。素人くさい構成が逆に味になっている?}

 

1926年7月 The Rajah's Emerald (初出The Red Magazine 1926-7-30 挿絵Jack M. Faulks) 2️⃣(11)「ラジャのエメラルド」田村 隆一 訳: 評価5点 {他愛もない話だが、男女関係では男が主導すべき、というところに妙に力点が置かれている}

 

1926年8月5日ごろ❤️アーチー、不倫を告白。アガサさんは1926年初めごろから別の知り合いを通じてナンシー・ニールを自宅に何度か招待するなどしており、二人の関係を全く知らなかった。いったんは離婚を求めたアーチーだったが、二週間後、当面3か月は夫婦関係修復の努力をすることで合意。この頃愛犬ピーターがアガサさんの眼前で自動車事故にあう(治療後、全快した)。

 

1926年8月 Swan Song (初出The Grand Magazine 1926-9)2️⃣(12)「白鳥の歌」田村 隆一 訳: 評価4点{ちょっと激しい感情の表出が、執筆当時の心の揺れを感じさせる?深読みし過ぎかも、だが}

 

1926年10月❤️家族でフランス旅行。夫婦関係は修復せず。

 

1926年10月 The Last Seance (初出Ghost Stories 1926-11 as ‘The Woman Who Stole a Ghost’)1️⃣(11)「最後の降霊会」小倉 多加志 訳: 評価4点 {深読みすると、私がこんなに頑張ってるのに、アンタは… という心の叫びなのかも}

 

1926年10月 The Love Detectives (初出Flynn’s Weekly 1926-10-30 as ‘At the Crossroads’; 英初出The Story-teller 1926-12 as ‘The Magic of Mr. Quin, No. I. At the Cross Roads’) 7️⃣(8)「愛の探偵たち」宇佐川 晶子 訳<クィン>: 評価4点 {このクィン氏シリーズは米国週刊誌Flynn’sに3回ほぼ連続掲載、英国雑誌Story-Tellerに6か月連続掲載なので、あらかじめまとまった数の原稿を渡しているはず。なので本シリーズのほとんどの執筆時期は8月以前(夫の不倫を知る前)のような気がする。本作は普通の探偵小説で、作者の特別な感情をあまり見出せない}

 

1926年11月 The Soul of the Croupier (米初出Flynn’s Weekly 1926-11-13; 英初出The Story-Teller 1927-1 as ‘The Magic of Mr. Quin, No. II. The Soul of the Croupier’)4️⃣(5)「クルピエの真情」嵯峨静江 訳<クィン>: 評価4点 {この話の衝動はちょっと作者の揺れを感じてしまう}

 

1926年11月 The World's End (米初出Flynn’s Weekly 1926-11-20 as ‘World's End’; 英初出The Story-Teller 1927-2 as ‘The Magic of Mr. Quin, No. III. World’s End’)4️⃣(11)「世界の果て」嵯峨 静江 訳<クィン>: 評価7点 {世界のオワリを感じさせる心情風景が好き。春のコルシカ旅行が早速ネタになっている}

 

1926年11月 The Voice in the Dark (米初出Flynn’s Weekly 1926-12-4; 英初出The Story-Teller 1927-3 as ‘The Magic of Mr. Quin, No. IV. The Voice in the Dark’)4️⃣(7)「闇の声」嵯峨 静江 訳<クィン>: 評価4点 {悪い感情を押し殺しているような感じ}

 

1926年12月4日❤️アガサさんの失踪が明らかになる。まだ有名作家ではなかったが、マスコミは大騒ぎとなる。なおこの前に長篇『ビッグ4』の完成原稿はコリンズ社に送られていた。(『自伝』では違う説明がされているが、『ビッグ4』出版が1927年1月なので失踪から発見後のタイミングの原稿完成では出版までこぎつけられないだろう)

 

1926年12月4日♠️既に出版済みの長篇『アクロイド殺し』の再連載開始(Liverpool Weekly Post)。開始時期は偶然だが、このため「失踪は宣伝」説も流れた。

 

1926年12月11日♠️既に出版済みの長篇『ゴルフ場の殺人』の再連載開始(Reynolds’s Illustrated News)。{作者不在で新しい契約をするとは思えないので、この開始時期も前から決まっており、偶然なのだろう(新聞社側で前倒しが可能な契約内容だった、という可能性もある)。同日12月11日に多数のボランティアも参加したニューランズ・コーナー大捜索が行われているのだが、ドロシー・L・セイヤーズが自分のバイク(Ner-a-car)で駆けつけて見物しており、その経験が長篇『不自然な死』の一場面に採用されている}

1923年の広告から。約70万円。

1926年12月14日❤️アガサさん、無事ハロゲートのハイドロで発見される。テレサ・ニールと名乗って宿泊していた。{ハイドロをネタにして、ミス・マープルものの短篇『クリスマスの悲劇』A Christmas Tragedy(初出The Story-teller 1930-1)を数年後に書いちゃうなんてところに、アガサさんの太さを感じてしまう}

 

1927年1月❤️アガサさんとロザリンドはカナリア諸島へ旅行。 長篇『青列車の秘密』の原稿完成。{アガサさんは初めて作品を書く苦しみを味わった。今までは、気の向くままに書いて、好きな時に発表していたのだろう。カナリア諸島の体験は、後のマープルものの短篇に生かされている}

 

1927年1月♠️長篇『ビッグ4』出版。 <ポアロ> {かつて連載した短篇シリーズ(1924-1-2〜3-19)を長篇に仕立て直したものだが、最初から統一したタイトル“The Man Who Was Number Four: Further Adventures of Hercule Poirot”で連載していたので、あまり手直しは入っていないのではないか。失踪事件直後の出版だったので8500部を売り上げた、という}

 

1927年1月 The Edge (初出Pearson's Magazine 1927-2)3️⃣「崖っぷち」中村 妙子 訳: 評価8点{激しく荒ぶる感情はかなり衝撃的。犬の事故も描かれており、前年8月以降の執筆なのだろう。ピアソン誌は上手くやったと思う。この原稿を失踪前に入手したのだから… なおアガサさんは生前、本作を短篇集に収録することは決して許さなかった}

Pearson's Magazine 1927年2月号。


1927年3月 The Magic of Mr. Quin, No. V. The Face of Helen (初出The Story-Teller 1927-4)4️⃣(8)「ヘレンの顔」嵯峨 静江 訳<クィン>: 評価6点 {抑制されているが、張り詰めた緊張を感じる}

 

1927年4月 The Magic of Mr. Quin, No. VI. Harlequin’s Lane (初出The Story-Teller 1927-5)4️⃣(12)「道化師の小径」嵯峨 静江 訳<クィン>: 評価7点 {幻想的な悲劇。ラストの焦点が急に違うところに当たる、など混乱があり、作者の揺れる心を反映しているのかも。前年8月以降の完成か?}

 

1927年11月♠️ミス・マープルものの連作短篇「火曜クラブ」(初出The Royal Magazine 1927-12〜1928-5)で作家として復活。(下の短篇集の最初の六作分。上記の直近三作は失踪前に雑誌に売れていた作品だろう)

 

1928年2月♠️長篇『青列車の秘密』連載(夕刊紙The Star 1928-2-1〜3-15)。<ポアロ

 

1928年2月15日❤️デイリー・メールのインタビューでアガサさんが失踪事件について語る(初めてで唯一のもの。来るべき離婚で娘の養育権を確実にするのが目的だった。アガサさんの話の全文はジャレッド・ケイドの本に掲載されている)

 

1928年3月♠️長篇『青列車の秘密』出版。<ポアロ> {7000部売れた}

 

1928年3月アガサさんからの離婚の申し立て(4月にdecree nisi(仮判決)を得て1928年10月に離婚成立) {英国の離婚裁判は、綺麗な側(つまり不倫された側)から訴えなければならない。英国の離婚訴訟では、誰を相手に不倫したか?についてその身分を明かして証明する必要はなかった。アーチーはナンシー・ニールの名前を、彼女の体裁を保つため隠すようにアガサさんに要求し(当時はそうするのが一般的だったようだ)アガサさんは娘の養育権を確保するために嫌々ながらもアーチーに従った、という}

 

1928年4月♠️ この頃、初の普通小説『愛の旋律』を書く。(出版は1930年、メアリ・ウェストマコット名義)

 

1928年秋❤️アガサさんの初の中東旅行。この次の中東旅行(1930年3月)でマローワンと出会う。

 

以上、1926年を中心にアガサさんの人生を再構成しました。最大の注目作品は「崖っぷち」ですが、この時期の「クィン氏」シリーズの重要性がわかります。特に、人生の傍観者(サタスウェイト氏)がうろたえる「道化師の小径」は不思議な魅力を持った作品になっています。

 

さて失踪事件の真相については、ジャレッド・ケイドが、アガサさんの親友ナンの娘ジュディスから聞いて再構成しており、まあそうだよね、という印象です。(ただし記述方法が気になります。第14章は全て伝聞に基づいていることを明確にすべきでしょう)

アガサさん自身が失踪事件の真相について一切語らなかった、というのは上記の年表を見ても間違いで1928年2月15日の新聞インタビューで「記憶喪失と第二の人格」説を主張しています。

私はずっとアガサさんなら、自分自身の作品の中で巧みに真実を仄めかしているのでは?と妄想していて、かなり以前から注目してアガサさんの作品を読んでいたのですが、ついにその作品に巡り合いました。(なぜか最近まで、この長篇小説だけ、読んでいなかったのです。なおメアリ・ウェストマコット名義の作品(私は全て未読)にはアーチーとの関係を思わせる部分がある、とよく書かれているのですが、アガサさんの性格からして本名の作品であえて真相を告白するような気がするのです。)

 

この作品がそうである、という根拠は

1 ジョン・カラン『アガサ・クリスティーの秘密ノート』で知ったのですが、登場人物の苗字が、執筆途中でRidgewayからChristowに変えられている。これを知って、ああ、John Christowはアーチーなんだ、そしてGerda Christowはアガサさんなんだ、と直感しました。つまりこの作品は「さよなら、アーチー・クリスティ」というアガサさんの心の清算行為だったのだ、と強く感じたわけです。

2 本作品の発表は戦争終了後、初です。清算と秘密の暴露にふさわしい時期だと思います。ポアロ清算(最後の事件)は、既に完成して出版社が(作者の死後、発表する予定で)管理していました。とすると自分の人生最大の汚点の清算も、とアガサさんが考えたとしても不思議はありません。同時期出版の中東エッセイ『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』はアガサ・クリスティ・マローワン名義で発表されましたが、本作もコリンズ社が許せば、作者としてはマローワンで、と考えていたとしても不思議はありません。

 

3 ジョン ・クリストウの不倫相手ヘンリエッタはアガサさんの「自分がなりたい」理想像だと思いました。自伝にも「彫刻家に憧れていたが私は不器用だった」とありますが、本作には、ドジでのろまな(妻)アガサから賢い芸術家(真)アガサへ、の成長願望が込められているような気がします。アガサさんの自己イメージは自伝で「歳の離れた一番下の妹だったので、家族の中ではのろまと言われていた」ように書かれています。想像をたくましくすれば、ヘンリエッタの苗字Savernakeはsaver(=Christ)+nake(つまり裸のクリスティ)を暗示しているのでは?

4 登場する一家の母が印象的な人物で、この感じはアガサさんの母がモデルではないかと思います。自伝でも、母は思いつきがコロコロ変わる人だった、とあります。本作のファミリー感は強烈で、アガサさんが懐かしさを込めて書いたのだろうと感じます。

5 そして本作品の謎の真相。これはネタバレになるので書けませんが、ああ、それなら、失踪事件の真相はアレだよね、と納得してしまいます。作中でポアロが「真相は訪ねてきたら話すつもりです」という場面があるのですが、私はアガサさんが実生活でも「『ホロー荘』って失踪事件の真相なんですよね?」と尋ねられたら、真実を語るつもりだったのかも、という妄想をしてしまいました。

 

本作『ホロー荘の殺人』は探偵小説の名作とは言えないでしょうが、アガサさんが後に演劇化するほど気に入っていた小説です。まあ私の説はともかく、アガサさんにしては妙に人物描写に気合の入った作品にしあがっています。ただし、今までのところ、私の妄想に同意していただけた方はいなかったのですが…