十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

ムッシュ連載49(第1部第34章の1)

Caricature représentant l'évasion de Lavalette, resté fidèle à Napoléon 1er et condamné à mort en 1815 par un tribunal monarchique, lors de la Restauration.(ナポレオン1世への忠誠を貫き、王政復古期の1815年に王党派法廷で死刑判決を受けたラヴァレット伯の脱獄を描いた風刺画)

XXXIV

ルコックが準備していた究極の手段は、彼の発明ではなく、特に目新しいものでもなかった。 ≪34-1≫

いつの時代も警察は、必要とあらば目をつぶって、牢屋の扉を少し開けておくことを心得ていた。 ≪34-2≫

しかし、愚かだ。非常に愚かで、全くのお人好しだ。こうした都合の良い不手際を真に受け、眩しい罠に惹かれ、自由が与えられたと勘違いする輩は。 ≪34-3≫

ラヴァレットの脱獄は、当時、国の関与が厳粛な誓いのもとに否定されていたが,現在では、王室の黙認により護られていたことが歴史的事実として証明されている。しかし、そんな厚遇がすべての囚人に与えられるものではない。 ≪34-4≫
※ Lavalette: Antoine Marie Chamans de Lavalette伯爵(1769-1830)。ナポレオン1世の側近および郵便局長などを務めたが、王政復古期の1815年に反逆罪で死刑判決を受けた。執行前夜、面会に来た妻エミリと服を入れ替えて脱獄に成功。この脱走にはルイ18世による意図的な「黙認」があったと当時から囁かれていた。その後、英国将校らの助けで国外へ亡命し、1822年に赦免されてフランスへ帰国した。

むしろ、不運なジョルジュ・デシェロニーと同じ道を辿る場合が多いだろう。当局に仕組まれ、計算ずくの釈放を与えられ、意図しない密告者の役割を演じることになり、その役目を果たした瞬間に再び捕らえられる。≪34-5≫
※ Georges d'Etchérony: 調べつかず。多分架空。次の文章がやや説明的。読者が周知の有名人なら、ちょっと書きすぎだと思う。

哀れなデシェロニー!… 看守たちの監視をまんまとくぐり抜けたと思い込んでいたのだ。己の誤算と、その罪を悟ったとき、彼はピストルで自らの心臓を撃ち抜いた。​​​​​​​​​​​​​​​​ ≪34-6≫

なんということ! 重症だったが、彼は生き延びてしまい、自分が売る形となった友人の一人から、不本意な侮蔑の言葉を聴くこととなった。裏切り者、と。 ≪34-7≫

しかし、どうしても他に手がない場合や、極めて稀な特殊な場合に限り、囚人の脱走を密かに手助けするという決断が下される。やはり、この手段は危険すぎる。 ≪34-8≫

この方法を使うのは、犯罪組織を一網打尽にするなど、それに見合う極めて重要な成果が期待できる場合に限られる。 ≪34-9≫

一味の一人を捕らえたとする。だがその男は悪党の仁義で、共犯者の名前を明かすのを拒否する。どうすればよいか?... 彼一人を裁判にかけ、有罪判決を下すだけに甘んじるべきか?... ≪34-10≫

いや!… 断じて否!偶然を装って、男の手が届く場所に置いておくのだ。鉄格子を鋸で切断できるヤスリ、壁を乗り越えやすくするロープ… ≪34-11≫

彼は逃げ出す。だが、足に糸をつけたまま飛び立つ黄金虫と同じく、見えない鎖を引きずっている。鋭い洞察力を備えた一隊の監視員たちが端を持っている。 ≪34-12≫
※ le hanneton: (以下、未確認のGemini註釈) フランスで子供が糸をつけて遊ぶ虫の定番は「黄金虫」。

そして、ようやく合流した仲間の前で、自分の大胆さと幸運を自慢しているまさにその瞬間、皆が一網打尽になる。 ≪34-13≫

セグミュラ殿は、この手口も、さらに他の策も熟知していた。にもかかわらず、ルコックの提案を聞くや、身を起こしてこう言った。 ≪34-14≫

「頭がおかしいのか!...」 ≪34-15≫

「そうは思いません、閣下」 ≪34-16≫

「被告を脱走させる!」 ≪34-17≫

「そうです」と若い刑事は冷静に答えた。「まさしくそれが私の計画です」 ≪34-18≫

「絵空事だ!…」 ≪34-19≫

「なぜですか、閣下? シャボワゾー夫妻がラ・シャペル・サン・ドニで殺害されたのち、犯人たちが無事逮捕されたことを覚えていらっしゃるはずです。しかし、貨幣と銀行券で十五万フランの盗難でしたが、この多額の金銭は見つからず、殺人犯たちもどこに隠したか、頑なに口を割らなかった。死刑を免れれば、彼らにとってひと財産でしたが、一方で被害者の子供たちは破滅寸前でした。そこで、予審判事のパトリジャン氏が、助言とまでは言いませんが、その卑劣な悪党どもの一人を野に放つという賭けに出てはどうか、と最初にほのめかしたのです。その意向が採用されて、わずか三日後、逃亡犯がキノコ栽培用の廃坑で宝を掘り起こしているところを発見されました。それで、私はこの被告に... 」 ≪34-20≫
※ époux Chaboiseau: 架空だろう。事件関係者のPatrigent判事も架空人物だ。
※ La Chapelle-Saint-Denis: Église Saint-Denys de la Chapelle辺りの地域だろう。現在のParis18区。
※ 150,000 francs: ≪1-15≫の換算で一億四千万円。
※ Patrigent: 『ルルージュ事件』に登場する予審判事。
※ carrière de champignonniste: (以下、未確認のGemini註釈) 19世紀のパリ周辺では、放棄された石切場(採石場)がキノコ(シャンピニオン・ド・パリ)の栽培に利用されていた。

「もういい!… 」とセグミュラ殿が遮った。「この事件についてこれ以上聞きたくない。君にはこの件を思い出させるなと言っていたはずだが...」 ≪34-21≫

若い刑事は、従順さを偽ってちょっとうつむいた。 ≪34-22≫

しかし、彼は横目で判事を窺っていた。そして、相手の動揺を確信した。 ≪34-23≫

「黙っていれば良い」と彼は思った。「心配はいらない。彼はまたこの件に戻ってくる」 ≪34-24≫

その直後、彼は実際、話を戻してきた。 ≪34-25≫

「そうだな」と彼は言った。「仮にその男が刑務所の外に出たとしよう。君はどうする?…」 ≪34-26≫

「私ですか、閣下!私は、貧しさが貧乏人に取り憑くかのごとく男に付きまといます。決して奴から目を離さず、その影になりきるのです」 ≪34-27≫

「奴がその監視に気づかないと考えているのか?」 ≪34-28≫

「万全の対策を講じます」 ≪34-29≫

「ふとこっちを見たり、間の悪い偶然によって、奴は君だと気づくだろう」 ≪34-30≫

「いいえ、閣下、私は変装するのです。熟練した俳優以上の変装術を持たない治安局捜査官は、平凡な刑事に過ぎません。私はこの一年、自分の顔と姿を思いのままにする訓練を続けてきました。今や思いのままです。老いも若きも、黒髪も金髪も、れっきとした紳士にも、薄汚い無頼漢にも...」 ≪34-31≫

「そんな才能があるとは思いもよらなかったよ、ルコック殿」 ≪34-32≫

「ああ!… 理想とする完璧な域には、まだ遠いのです!… しかし、閣下、約束しましょう。三日以内に変装してあなたの前に現れ、三十分間、会話を交わしてみせます。相手が私だと全く気づかないはずです…」 ≪34-33≫

セグミュラ殿は答えなかった。彼が次々と異論を並べているのは、自説を通したいからではなく、むしろ自分の懸念を一つ残らず論破してほしいという期待からだと、ルコックには明らかだった。 ≪34-34≫

「気の毒な青年よ、君は妙な考え違いをしていると思う」と判事は続けた。「君も私も、あの謎めいた被告の洞察力に随分やられてきた。奴の明敏さは異様だ、想像を絶するほどと言っても良い... そんな手強い男が、君の粗雑な罠を嗅ぎつけないと本当に思っているのか?自由になれるよう取り計っていると見たら、自分を陥れるための策に違いないと、すぐに見抜いてしまうだろう」≪34-35≫

「考え違いはしていません、閣下。メは察するでしょう。承知の上です」 ≪34-36≫

「そうか!それで?」 ≪34-37≫

「それで、私はこう考えました。一度自由の身になれば、あの男はその自由に意外と戸惑うのは間違いありません。金は一銭もなく、身を立てるべき職もない… どこで、どう生活するか? しかしながら、食べなければなりません!しばらくは抗うでしょうが、やがて苦しみに疲れてしまう… 住む場所も、食べるパンにも事欠く日々の中で、奴はふと思い出す。自分は金持ちだ、と… 家族や仲間に接触を図ろうとしないでしょうか?間違いなくそうします。助けを得ようと工夫し、友人たちに自分の消息を伝えようと試みます… そこを私が狙っている。数か月が過ぎ、監視の影すら見えないと確信した頃… 奴は決定的な行動に出る。その時、この私が逮捕状を手に、彼の前に現れる…」 ≪34-38≫

「もし奴が逃げて、国外に出てしまったら?」 ≪34-39≫

「追いかけます。叔母が田舎に一万二千フランほどの粗末な家を遺してくれました。雪辱を果たすのに必要なら、それを売り払い、最後の一スーまで代金を使い切る覚悟です。あの男は、賢いとうぬぼれていた私を、子供のように翻弄した... 今度は私の番です」 ≪34-40≫
※ une douzaine de mille francs: ≪1-15≫の換算で1,129万円。

「もし奴が、君の指からすり抜けて、逃げてしまったら?」 ≪34-41≫

ルコックは自信を漲らせた男のごとく、大笑いした。 ≪34-42≫

「やれるものならやってみろ、です!...」と彼は言った。「私の首をかけて、奴の身柄を保証します」 ≪34-43≫

あいにく、ルコックの熱意は、判事を冷ますだけだった。 ≪34-44≫

「確かに、捜査官殿」と彼は続けた。「君の考えの筋は良い。だが、司法というものは、知っての通り、そのような陰謀に深入りするわけにはいかない。私が約束できるのは、黙認だけだ。まずは警視庁に行って、上司に相談したまえ... 」 ≪34-45≫

若い刑事は、絶望した身振りで、セグミュラ殿の言葉を遮った。 ≪34-46≫

「そんなことを提案したら」と彼は叫んだ。「私は!... 却下されるだけでは済まない、解雇を言い渡されるでしょう。もっとも、既に治安部門から抹消されているのかも... 」 ≪34-47≫

「君が!… この件では、とても良く頑張ったのに!」 ≪34-48≫

「残念ながら、閣下、皆がそう思っているわけではありません。あなたが病気になって八日間、噂が飛び交っています。私の敵は、メが演じた最後の一芝居をうまく利用したのです!… ああ!… あの男は見事でした。今や署内では、私が昇進のために、この事件の至る所に小説じみた脚色を施し、本来なら全く存在しない身元問題を、私一人ででっち上げたと言われています。監獄職員から聞くと、私は、シュパンの家で起きもしなかった惨劇の場面を捏造し、共犯者をでっち上げ、証人を買収し、証拠物件を偽造し、挙句には最初の手紙も二通目と同じく自作自演し、アプサント親父を唆して、獄長までも欺いたというのです。 ≪34-49≫

「なんということだ!...」とセグミュラ殿は言った。「それならば、私のことはどう言われている?...」 ≪34-50≫

抜け目のない刑事は、非常に困惑した様子を装うことができた。 ≪34-51≫

「何というか!… 閣下」と彼は返した。「あなたは私にすっかり丸め込まれ、私が出した証拠を十分検証しなかった、と噂されています... 」 ≪34-52≫

セグミュラ殿の額に、一瞬赤みが差した。 ≪34-53≫

「要するに」と彼は言った。「皆、思ってるんだな。私は君に騙された… 愚か者だと」 ≪34-54≫

廊下での不可解な微笑み、心に引っかかっていた様々なほのめかしの記憶が、彼の決断を固めた。 ≪34-55≫

「よし!...ルコック殿、君を支援しよう」と彼は叫んだ。「そうだよ、君を嘲笑う連中を叩きのめしてやるのだ... 今すぐ起き上がって、君と一緒に司法宮へ向かおう。検事総長閣下に会い、説明し、説得し、君を保証しよう!」 ≪34-56≫

※ 初出紙の連載第50回目(1868-7-16)の終わり

(つづく)
 
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