十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

ガボリオとドイルの(斜め)関係

シミルボン投稿日 2022.06.04

今回取り上げるのは、このアンソロジーの最初の作品、エミール・ガボリオ作『バティニョールの老人』(初出Le Petit Journal 1870-7-77-19)


何故か本作は初出時にガボリオ作として発表されていない。本書にも再録されている前説の通りゴドゥイユという謎の男の持ち込み原稿で実録、という設定で新聞に掲載された(プチ・ジュルナルには毎号新聞小説が連載されていたのだが、本作は実録として記事ページに連載されている。本作連載時にも別の小説が小説欄に掲載されていた)

本作連載の初回187077日号には編集長が毎日書いてる新聞の「編集口上」を全部使ってゴドゥイユの原稿がいかに届いて、一読して傑作だとわかったのだが、その後、作者と全く連絡が取れず、プチ・ジュルナルがいかに熱心に彼を探したか(プチ・ジュルナルで連載開始前の73日から6日まで念のいったことに「ゴドゥイユがやっと見つかった!驚くべき作品は近日公開!」という偽の自社宣伝を載せている。さらにその前にはゴドゥイユを探すポスターまで作って実際に新聞社付近に貼り出したようだ)、そして元の連載時には、この前説の文章には続きがあって、ゴドゥイユ作の本シリーズ(初出時には「パリ警察本部の一員の回想」Mémoires d’un agent de la Suretéというシリーズの第一作目」だった)バルザックの言う100年ごとのパリ年代記の新版で、パリの表も裏も描き出すのだ!現代のタブロー・ド・パリ(メルシエ作)だ!新しいパリの秘密(シュー作)だ!と鼻息が荒い。

続くタイトルも一部予告されていて、Un Tripot clandesitn(非合法の賭場)--Disparu(消えた)--Le Portefeuille rouge(赤い財布)--La Mie de pain(パンくず)--Les Diamants d'une femme honnête(正直な女のダイヤ)--La Cachette(隠し場所)という短篇が掲載されるはずだった。でもちょうど『バティニョール』の連載が終わる719日にある出来事が発生して、続きは無期延期になっちゃった。普仏戦争が始まったのだ。(結局、残りの作品は発表されずじまいとなった。ただしマグロ親分が登場する「失踪」Une disparitionという短篇はDisparuを元にしているのかも)

さて、ここからが本題。本作の冒頭を要約すれば

医学校を卒業したばかりの医者、23歳の私、アパートの隣人が奇妙。時間が不定期、勲章をぶら下げたりゅうとした格好だったりボロボロの服だったりして怪しい。ある夜中、血だらけで私の部屋に飛び込んできて治療を求めてきた。それで付き合いが深くなったが秘密を明かしてくれない。管理人も知ってるみたいだが教えてくれない。だがある日、私は冒険の同伴を許された。現場には指で書いた血のメッセージ!殺人事件だ!彼は探偵(刑事)だったのだ!

私はこの冒頭の感じがドイルの『緋色の研究』(1887年クリスマス号初出)にとっても似ていて、特にRache の場面なんてドイルは本作を参照したのでは?と思っている。有名な血で書いたダイイング・メッセージだ。
被害者が虫の息で殺人者のヒントを口にする、というパターンはけっこうありふれていて、実際にも沢山の事例があると思う。血の文字で殺人者の名前を書くのはその変形で、これまたありふれたネタとも思えるが、実際の事件とか物語の中の場面でも意外と前例が少ない。少なくとも私がWebで探しても全然ヒットせず、どうやら『バティニョール』が血の文字のダイイング・メッセージの嚆矢のようだ。
ドイルの方の犯人はギャングの記事で読んだのを思い出してと後で証言するのだが、そういう事件が実際にあったのかなあ。(秘密結社の犯罪ではありそうな気がするが、私のWeb調査では作品前の事例を見つけられなかった)


ガボリオの英語訳は米国の方が早くて、本作の最初の英訳は
The little old man of the Batignolles. A chapter from a detective's memoirs. by Emile Gaboriau (G. Munro, New York 1880) The seaside library v. 37, no. 758
のようだ。英国ではガボリオのセンセーショナル・ノヴェル・シリーズとして
The Little Old Man of Batignolles and other stories (Vizetelly, London 1886)
が出版されている。


なのでドイルが『緋色』の前に英語で読んでいても全然不思議ではない。ただしドイルがガボリオの作品を読んだ、と明言しているのは『ルルージュ事件』と『ルコック探偵』だけなのだが… (これは後述のみっちょん様の研究による)

 

ここで『バティニョール』は上に書いたようにゴドゥイユの書いた実録として発表されたことを思い出してほしい。ガボリオ作が明らかになったのは作者死後に出版されたLe Petit Vieux des Batignolles (E. Dentu, Paris 1876)の時なので、1870年にプチ・ジュルナルを読んでいたある英国人が実録と思い込んで、ある英国雑誌にフランス刑事のノン・フィクションとして紹介していた可能性がある。つまりドイルはガボリオ作だと思わず、このネタを読み、記憶に刻みこんで『緋色の研究』に無意識に採用してしまったのでは?というのが、私の本日の新説です。
ホームズ研究家のみっちょんさま、如何でしょうか?
(
みっちょんさまは最近ガボリオとドイルの関係を掘り下げておられます。http://shworld.fan.coocan.jp/06_doyle/06_index.html ぜひ『バティニョール』と『緋色』についても書いていただきたいなあ…) (2023-8-24追記: 現在は記事が削除されている)

本アンソロジーのミステリ的書評はWebサイト「ミステリの祭典」に発表しているので、よろしかったら是非。

「ミステリの祭典」ミステリの採点&書評サイト