十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

最初期のシャーロックのライヴァル

シミルボン投稿日 2021.12.24(ところどころちょっと手直し2023-8-22)

マーチン・ヒューイットも、ソーンダイク博士同様、今となってはマイナーな存在で、その名を知る人も少ないだろう。かつて創元推理文庫から『マーチン・ヒューイットの事件簿』(10短篇収録)が出ただけで、雑誌での翻訳も少ない。今回の作品社の全集の登場は、正直なんでいまさら?という感じを受けた。上記の文庫本は読んでいたものの、実に華の無い探偵で、読者が推理に参加できない古臭い形式で、事件の真相もアッと驚けない、地味な感じ。ヴィクトリア朝の生活をうかがわせる描写を除くと、ほとんど面白くないのでは?という評価をしていた。

でもこの全集が出たのをきっかけに再び読んでみると、推理クイズ的な期待をせずに素直に読めば、作者の細やかな観察と表現、堅実な知識、ヒューイットの上下隔てない交際態度、なかなか興味深い幅広い登場人物、実生活で有りうる範囲内に収まっているため起伏は小さいけど、なかなかに工夫された展開、など、良いところが次々と見つかり、ああ、前に読んだときの自分は全然わかってなかったのだなあ、とあらためて作者を見直すことが出来た。

作者アーサー・モリスン(18631945)について、ちょっと調べてみると、南方熊楠が在英中に親しくなり、その偉ぶらない人柄に感心している。日本絵画研究(特に浮世絵)で名高く、その日本絵画コレクションは当時有数だったが、三年間交際のあった熊楠にはぜんぜんそんな素振りを見せなかったとも言う(もともと貧しい家庭に生まれ、ジャーナリストとして活躍し、文学や芸術を通じて貴賓との交際もあった) そういう謙虚な人柄も、ヒューイットものに反映されていると思うし、また作品の底に流れるほっこりするユーモア感が非常に良い。

本書は雑誌掲載時のイラスト165点を全て収録しており、雑誌版と単行本版の文章の異同を比較し、全て記載する徹底ぶり。雑誌のイラストというのは、当時のファッションとか街並みとか乗り物の様子がわかる情報豊富なものだから、ついてるのとついてないのでは作品のイメージが全く変わってくる。しかし出版の手間と版権がめんどくさくなるためだと思うが、原書のリプリントでも翻訳書でも無視されることが多い。でも近年の平山先生の労作(隅の老人完全版、思考機械完全版、その他)とか、渕上さんのソーンダイク短篇全集とか、創元文庫のヴァルモンの功績とか、イラストを多数載せてくれる翻訳本が多くなってきた。私は特にペリー・メイスンもの『カナリアの爪』(1937年連載、掲載誌はThe Saturday Evening Post、挿絵Rico Tomaso)のイラストをぜひ見てみたいので、誰かどこかで「絵で見る黄金時代の探偵小説」なんていうのを(WEBでも良いので)出してくれないかなあ… (日本の作品だと創元の乱歩傑作選は当時の挿絵が載っている。実に素晴らしい。20巻以降は中断してるのが寂しいが綺堂の半七の雑誌の挿絵付きのも良いねえ…)

マーチン・ヒューイットについて、簡単に紹介しておこう。ドイルがホームズをライヘンバッハで「殺して」しまった(雑誌掲載は9312月号)ので、ストランド誌は後釜を探していた。同誌に当時Zig Zag at the Zoo(18927月号~18948月号。ユーモラスな動物スケッチ、イラストJ.A.Sheppard)を連載していたモリスンに白羽の矢が当たり、多分かなりの金額で依頼があったのだろう。(日本画を買うためにお金はいくらでも欲しかった?) 18943月号から7回連載で、ヒューイットものがシドニー・パジェットの挿絵付きで連載された。連載最初の2回分には作者名が書かれていない。文学者としてのモリスンにとって不本意な連載だった(ドイルの線でという人マネに近い依頼だったのだろう)から、そういうことになったのか?それともストランド誌がドイルの作と誤解させたかったのか? 作者名無しの件については平山先生のあとがきに書かれていません。
ヒューイットは外見も平凡で、のちのシャーロックのライバルたちのような特殊な属性は付与されていない。地道に堅実に調査し、その観察力と広範な知識で謎を解くのだ。

さて、本書について、詳細は別サイト「ミステリの祭典」に非常に細かく書いたので、ここではシリーズ2作目『サミー・スロケットの失踪』の小ネタに絞っていろいろと細かい部分を書きます。

ミステリの祭典:マーチン・ヒューイット

まずは、最大の謎、なぜ雑誌では登場人物の名前がクロケットだったのにスロケットに変わったのか?(英国単行本のみ。米国版はクロケットのまま)
海外の専門家(Mike Grost)も何故だかわからん、としています。平山先生も、関係者に配慮した?でも米国版はそのままだから中途半端、という感じで書いておられ、理由はわからないようだ。
以下の説について証拠は無く、私の想像に過ぎないものだということをお断りしておきます。


まず当時の有名人でサミー・クロケット(Sammy Crockett)という名前の人物を探したのです。すると、Samuel Rutherford Crockett(1859-1914)というスコットランドの作家(S. R. Crockettとして活躍)が見つかった。デビューは1894年ごろなので、ちょうど『サミー・クロケット』が雑誌に発表され、単行本化された年と一致する。このS. R. Crockettの英語版Wikiを読んでいくと、文芸代理人A. P. Wattがずいぶん推していた作家らしいことが判る。調べるとアーサー・モリスンもWattと契約していた一人。ここからは私の妄想全開だが、Wattが新人作家Crockettに入れ込んでるさまがモリスンには微笑ましく思えて、『サミー・スロケット』の親方と新人ランナーとの関係と二重写しになり、ふとSammy Crockettという名前をつけてしまったのではないか。作者は単行本に収録するときに、何だか後ろめたくなって、校正刷りでCrockettThrockettに直したのではないか(苦情があって直すのなら、米国版も修正しているのではないか?という推理です)

続いて、ここで取り上げられている135ヤード(123.4メートル)ハンディキャップ・レースについて。
地方で行われる賭けスポーツのようなんですが、ルールが良く判らない。徒競走でハンデがつくらしいのだが、その方法も書かれていない。
ある程度、この競技の仕組みを理解しなくちゃこの作品の面白みも半減する、と思ってWebでいろいろ調べると、こういう記事が見つかった。

In professional sprint racing the handicap is measured in distance rather than in weight or shots. For example, the fastest runners will start a 120-yard sprint at the 120‑yard line, slower runners at 110 yards, 100 yards and so on. As in horse racing the handicap is based on previous races and times.

なるほど、ということは、本作で21ヤードとか18ヤードとかいってる部分はハンデのことでしょうね。最もハンデが少ない人が135ヤード走り、次にハンデが少ない走者がハンデ差の分、数ヤード前からスタートするという感じでしょうか。競馬同様、ハンデは前のレースやタイムを元に設定するのです。

作品でハンデが出てくるあたりを原文と拙訳で以下に示してみます。

“Got any price I liked.
「好きなだけ稼げる。
Been saving him up for this.
このために奴の実力を隠してたんだ。
Why, he's got twenty-one yards, and he can do even time all the way!
まあ今は21ヤードのハンデだが、そんなもの無くても楽勝さ。do even timeは不明だが、前の文はハンデがプラスの現状、後の文はマイナスの行為を言ってるのだから、ここはゼロの意味だろう(修正12-25: double timeが駆け足、slow timeが並足だと知って、ここは「普通の足で」の意味か。「(そんなにハンデがあれば)ずっと手抜きで行ける」前の文の(実力隠し)、後の文も(ハンデが多いので)と上手く繋がる)
Fact! Why, he could win runnin' back'ards.
マジで、後ろ向きで走っても勝てる。
He won his heat on Monday like--like--like that!"
月曜日の奴の試合の勝ち方は実に、実に、実に、あれだッ!」
The gaffer snapped his fingers, in default of a better illustration, and went on.
親方は指をパチンとやった。よい表現を思いつかなかったのだ。
"He might ha' took it a little easier, I think; it's shortened his price, of course, him jumpin' in by two yards.
「ちょっとだけ手を抜いといたらなあ。奴の掛け率は下がっちまった。2ヤード離してゴールに飛び込んだんだから仕方ないが。【前の文はすごい勝ち方っぽいし shortened his priceを悔しがってる感じだから、この解釈。競馬でby a noseなら鼻の差。次の文では、それでもまだ率が良いと言っている】
But you can get decent odds now, if you go about it right.”
まだ今なら結構なオッズを稼げるぜ、あんたがヘマをしなければな」
〜中略〜
“I know every man runnin' like a book.
「俺は選手なら誰でも知ってる、どんなこともだ。
Old Taylor—him over at the Cop—he's got a very good lad at eighteen yards, a very good lad indeed; and he's a tryer this time, I know. But, bless you, my lad could give him ten, instead o' taking three, and beat him then!”
テイラーの野郎--あっちの「コップ」のだが--奴にはハンデ18ヤードのとても良い若いのがいる。実に良い選手だ。今回の有望株に違いない。だが本当のところうちの若いのはあいつに10ヤード与えてやれる、3ヤードもらう代わりにな、それでもあいつを負かしちまう!」Copは小説中に詳しい説明がないので不明。ハンデ差を計算すると21-18=3となるので、今回スロケットはテイラーの若者の3ヤード手前から走るが、実際はハンデ8相当が妥当で、相手が10ヤード手前からスタートしても勝っちゃうくらいの実力】

なお、我が書庫にある既訳(創元文庫、河出文庫『クイーンの定員I』、ミステリマガジン785月号)を参照しましたが、作中のヤードをハンデと解釈してたのは創元だけ。もちろん解釈違いは結構ある。まあ興味ある方はそれぞれの翻訳を参照してください。私の翻訳は、カンで押し切ってる部分も当然ありますが、会話に流れる内的論理は外してないものと考えます(翻訳裏話は【 】内に示してみました。言外の意図をきちんと理解するのが非常に重要だと思うのです)

平山先生におかれましては、今後とも珍しくて古い探偵小説のご紹介及び翻訳をよろしくお願いいたします。(出来れば部数の限られる同人誌方式ではなく、kindle方式で
あっ、そうそう最近同人誌で出た『ベデカー・ロンドン案内1905年度版 : イントロダクション』は、ヴィクトリア朝の理解に非常に重要な参考書なので、ぜひkindle化していただきたいです!