十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

ミステリと普通小説の間

シミルボン投稿日 2021.04.23

実は最近(というか昔から)普通小説はあんまり読んでなくて、ミステリばかり読んでいる。かつて(社会人になり仕事で悩んでた頃だったろうか)絵空事を読む暇があったら現実のものを読めば良い、と思い込んで、それまで読んでいたミステリやSFボルヘスの世界から「卒業」したはずだったのだが(当時は、もう面白い小説のパターンはわかったよ、と大それたことを思ってた気がする)、三年くらい前から、今まで軽視していたフィクションの世界にどっぷりハマっている(特に戦前の英米ミステリ)絵空事のもの、として書かざるを得ない世界だってある、という事に遅ればせながら気づいた、というわけ。(ただのノスタルジーという説あり。私は子供の頃、アガサ・クリスティで育ったので…)


特にミステリというジャンルは絵空事の要素が多い。本当の犯人は凝った殺し方より、確実な殺し方を選ぶだろうし(万一、殺し損ねるほうが犯人にとっては大問題だ)、殺しちゃった後は心がズタズタになるのが普通の人だろう。ミステリの犯人が「俳優」だった、と明かされることが多いのも、一ミリも心の動揺を表に出さないのは通常人には無理、という作家の後ろめたさなのだろう。


この小説は、ミステリとしては非常に上出来、と思った。(いつものようにミステリとしての感想はWebサイト「ミステリの祭典」でどうぞ)

「ミステリの祭典」自殺の殺人

 

でも不満があって、色々思い起こしたら、ああ、普通小説として、もし、作家がこのネタで書くとしたら、絶対、入れる要素が欠落してて、そこが不満だったんだな、と思い至ったのです。
これがミステリと普通小説との違いの典型例になるのでは?と大きく構えてみました。
ちょっとネタバレになるけど(メイントリックとか犯人とかには一切触れません。私は「あらすじ」すらネタバレだと思うので、事前にそういう情報は完全に遮断したい派。物語の展開って作家が一生懸命工夫したものだし、小説はそこを楽しみたいよね)この小説は冒頭から娘と父の確執らしきものが描かれるのだが、全く表面的な描き方なのだ。普通小説なら、そこがメインテーマになるべきところだろう。
でもミステリとしては、そこを深く描いちゃうと犯人の動機に触れちゃう可能性もあるし、全く動機から遠くなる可能性もある。犯人が誰かをギリギリまで明かさないために、心情を書いて、ある登場人物を犯人から除外する可能性すら潰したいのがミステリ作家の性だ。それに犯人の心情を書いちゃうと、モロバレになっちゃうので、全ての登場人物の心情には軽く触れるだけ、というのが本格探偵小説の書き方だろう。
この小説なら、主人公の心情に寄り添った表現もあり得て、そしてその方がずっとサスペンスフルで効果的だったのでは?と思う。ミステリに寄せすぎた、というのが私の感想。(もしかすると、主人公が作者とオーバーラップしていて、作者はこれでも十分に書いた、と思いこんでいるか、踏み込んで書くには無意識の抵抗があったのかも、とも妄想。結構、少女時代の親子関係は色々あった感じの生い立ちです)
まあ不満はあるが、この小説、ミステリとしてとても上手に構成された上質の良作で、楽しい探偵も出て来る。探偵の設定はちょっと脱帽ものだが、普通小説ならまずこんな探偵は登場しないだろう。ここら辺はミステリならではものだ。


まあ、こんな感じでミステリを普通小説として脳内で再構成して、有り、無し、を判断するのも面白い、と思ったわけです。
有り物件として、真っ先に思いついたのが、私の場合、

この小説。
これ、普通小説として書いたとしても、多分、おんなじ感じになると思いました。セイヤーズ の小説としても(私は「毒をくらわば」以降を読んでいないが)最高の出来だと思う。
ミステリの金字塔の諸作、例えば

とか

とかは普通小説としてはどうかなあ。(とちらも再読してないので記憶は朧げ)
前者は、多分無理、後者はありうるけど、全然違うテーマになりそうな気がする。
逆に

をミステリとして読む試みはジェームズ・サーバーが80年前に既にやっている。(マクベス 殺人事件」1938年初出とのこと。楽しいよ!)