十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

ミステリの本質

シミルボン投稿日 2020.10.23

最近、ガボリオの探偵小説 第一作『ルルージュ事件』(出版1866;連載1865)と第二作『オルシバルの殺人事件』(出版1867;連載1866)を読んですっかりガボリオ・ファンになりました。

いずれもちょっぴり古めかしいけど素晴らしい傑作。(ついでにkindleの『バティニョールの爺さん』(中篇)も良いですよ!シャーロックRacheの元ネタはコレかも)

大デュマが好きなら、あの調子で(当時の)現代を舞台にした探偵小説が波乱万丈に描かれてる、と思ってください。忘れられた作家のままにしておくのは惜しいです。
この三作品についての詳細は例によってWebサイト「ミステリの祭典」に書いてます(バティニョール以外、未完成ですが…)ので、ここでは繰り返しません。

「ミステリの祭典」オルシバルの殺人事件

「ミステリの祭典」ルルージュ事件

「ミステリの祭典」バティニョールの爺さん

 

ところで、この年代に英国ではウィルキー・コリンズが『白衣の女』(出版1860;連載1859)、『月長石』(出版1868;連載1867?)を発表。ロシアではドストエフスキー罪と罰(出版1867?;連載1866)の頃です。(米国は南北戦争直後なのでミステリどころではなかったのだと思う)
この時代、犯罪と小説の接近ってなんだろう?と興味が引かれたので、昔から気にはなってたものの全く読んでなかったドスト『罪罰』に手を出したのです。

罪と罰(上) (講談社文庫)

(グーテンベルグ21の電子本もこの翻訳。読みやすい、と思います。私はアンチ亀山)
そうしたら、探偵小説、推理小説、ミステリと呼ばれるジャンルの本質に突然気づきました(←今更っすか?)
最近、小説はミステリ関係(しかも本格物に分類される19201940発表のもの)ばかりだったので、普通小説とのコントラストが顕著だったのだろう、と後で思ったのですが、『罪罰』では謎が解明されるのか?解決がなくてほっぽり出されるのでは?という読んでる間の不安感が堪らない。(私はあらすじは全く読まない派です…)
ああ、ミステリって謎の解明が予め保障されてんだ!コレ、文芸としては非常に歪(いびつ)な前提だ!

名探偵ポオ氏―『マリー・ロジェの秘密』をめぐって

そんでもって、連想はポー『マリー・ロジェ』に行き着くのですが、つまり当時ジャーナリズムで盛んに展開される殺人や犯罪の謎に関するスキャンダラスな煽りが人々を不安にさせ、誰かこの謎を解いて!といういたたまれない気持ちが沸騰。そこに寄り添った文芸形式がミステリだったのでは?
まー実人生に解決なんてないし、犯人が捕まってすら真犯人かどうかは本当のところよくわからない場合も結構ある。そういう不確定な世の中、という不安にこたえるのがエンターテインメント、ということなのでしょう。
謎のエネルギーが大きいネタ(例えば写楽は誰?とか本能寺の真相は?とか邪馬台国はどこ?とか)には、今でも多くの興味が惹きつけられています。人間は謎に対峙した時、放置は出来ずやっぱり解決を求めるのだろう、その安易な解消形態がミステリってことで、とりあえず今日の気づきは終了。(きっと皆さまはとっくの昔に気づいてるよね…)
次回はもうちょっと歴史的事実に即したミステリ起源論を書く予定です。