フチガミ先生が、マーティン・エドワーズのミステリ史研究の大著 The Life of Crime を国書刊行会から今年刊行の予定、とのこと。
"エドワーズ氏の研究書としては、我が国では『黄金時代の探偵小説』が紹介されて評判となりましたが、The Life of Crime は、ミステリの黎明期から今日に至るまでのミステリ史の発展を、英語圏やフランス、ドイツ、スカンジナヴィアなどのヨーロッパ大陸はもとより、アジアや南米など、より幅広い国際的視野にまで広げて描き出した大著です。"(Webサイト海外クラシック・ミステリ探訪記」より)
私はずっと、なぜ英米がミステリというジャンルで際立ってトップランナーになったのか?という疑問があったのです。
ヴィドック、ガボリオの時代なら、間違いなくトップランナーはフランスだった… でもあっという間にシャーロックが追い越し、追い抜き、ミステリの黄金時代、という活況に至るまでには、ほぼ英米の独占状態でした。
The Life of Crimeは未見ですが、エドワーズ氏がどんな仮説を立ててるのか、とっても気になるところです。
エドワーズ氏が既に正解を言い当ててるかもですが、このタイミングで私の仮説(妄説ともいう)を披露しておきましょう!
まあ直感的には、英米が民主主義的であって、ジャーナリズムの発展により、世界に先駆けて、西洋社会のなかでも先進的に、誰もが殺人事件の情報を得ることが出来、推理に参加することが出来たから、という回答が出てくるでしょう。フランスやドイツでは中央集権的な制度で、権力側の情報統制が強い印象がありますよね!
まあこれで正解なのですが、私が最近注目しているのは、日本ではほぼ誰も興味がないらしい英米圏特有の制度、インクエスト(検死審問)なのです!
ミステリでも、殺人事件後に、ごく軽く触れられる程度なのですが、不審な死の場合、その死因を証言や証拠をもとに数日審理を行い、陪審員が評決を出します。裁判とは独立していて、もし犯人が名指しされても(大抵は「未知の犯人による殺人」という評決でお馴染み…かな?)有罪・無罪を決める裁判は別途行われます。インクエストでは反対尋問を行わないため、裁判制度上の証言としての価値は認められないのです。(じゃあ何で延々とこの制度が続いてるの?という疑問はここでは触れません)
犯人を特定出来なければしなくても良いんですが、自殺なのか、事故死なのか、殺人なのかを決めなければなりません。しかも素人が。
まあその詳細はいずれWebサイト『ミステリの祭典』に書きますので、そちらを参照いただきたいのですが、ここはミステリの発展との関係でした。
つまり、どう死んだか?を状況の証言から詰めていくプロセスなのです。
殺人なら、凶器は何か?いつ殺されたか?その傷は死に至った原因か?などを検死官が質問によって明らかにしていきます。
このプロセスってまさにミステリそのもの。裁判だと容疑者が固まってるので、犯人探しの興味がちょっと薄いですよね。
そして、審理の結果を決めるのは、地域の市民の代表である陪審員たちなんです!
それゆえに、インクエストは自由に傍聴でき、その記録は新聞に掲載されます。異常な事件であれば大々的に報道されるのです。公開しない、という選択は、英国では、ごく直近のテロ関連で極秘を要する事件ならまあ仕方ないか、と国会で決まるまでは全面公開を頑なに貫いていました。
このような制度が人々のミステリ脳を活性化したのは間違いありません!
日本では政治上の事件で重要人物の変死が結構ありますが、死の詳細に怪しいものがある場合でも、そこを追求するプロセスがありません。英国では権力を監視する意味でも変死に対する市民のチェック機能が確立して来たのでしょう。これこそ、民主主義の基本のひとつかも、と考える次第です。
S・フチガミの読書備