十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

バークリー「偶然の審判」初出の謎を解く?

あまりにトリビアルなネタ。古い探偵小説の重度のマニアしか喜ばないはず!

藤原編集室のWebサイト『本棚の中の骸骨』の投稿コーナー「書斎の死体」に掲載されている真田啓介さんの「The Avenging Chance の謎」(2013年5月改訂版)、これが本当に素晴らしいエッセイで、私は初めて中篇の存在を知り、真田さんの分析力に舌を巻いたのものです。それからずっと短篇小説The Avenging Chanceの「初出の謎」にぼんやりとした興味を抱いていたのですが、この度めでたく決着がつきそうな「事実」を見つけたのです!(まだ最終チェックはしてないのですが、海外から本が届くまでのお楽しみです…)

 

きっかけはWebサイト『ミステリの祭典』の私の感想文「World's Best One Hundred Detective Stories」に書いていますが、最近、作家・シナリオライターのRichard Connellを追っかけていて、全十巻で101作の短篇探偵小説が収録された1929年出版の大アンソロジーに至ったのでした。(以下『世界ベスト100探偵小説』)

出版社はFunk & Wagnallsで、英Wikiに項目がありますが、週刊誌The Literary Digest(1890-1938)や英語辞書、百科事典など学術参考系の書籍が中心のようです。

編集者Eugene Thwing(1866-1936)は、情報がほとんど無かったのですが、Quincy, Massachusetts生まれ、Adelphi College, Brooklyn卒業。Funk & Wagnallsの社員?(1882-1908原文にはconnected with.. とある)、1918年からはThe Literary Digestに参加。特に探偵小説界との関係は見出せませんでした。

『世界ベスト100探偵小説』の収録内容は、『ミステリの祭典』に詳しく書いたので、そちらを参照いただきたいのですが、ざっくりいうと「世界」は大袈裟だし(英米圏以外はフランスが三作)、同じ作家の同じシリーズから複数作品が収録されていたり、「ベスト」という割には定評ある傑作がほぼ収録されていない(参考まで、同時期のスタリット編Fourteen Great Detective Stories(1928、こちらは実に順当な傑作選)とのかぶりは2作のみ。チェスタトン作「青い十字架」とSamuel Hopkins Adams作The One Best Bet)、という感じで、吟味したアンソロジー、という印象ではありません。(ホームズもののベストが「三人ガリデブ」と「マザリンの宝石」だなんて誰も思わないはず。アガサさんの「ナイチンゲール荘」はこの時期のベストで問題なしですが… ほかに邦訳のあるものでは、レジナルド・フォーチュン2作、ファイロ・ガッブ2作、アブナー伯父1作(M・D・ポーストは全部で5作収録。ジョンケル2作は多すぎ、ランドルフ・メイスンは収録なし)、ルパン2作はどちらも『八点鐘』から、ソーンダイク2作、マックス・カラドス3作、四十面相クリーク3作は何で?)

そんなわけで日本では話題にならず、忘れられたアンソロジーになってしまったのも仕方ないでしょう。

邦訳のあるものを探す途中で、延原謙さんは間違いなくこのアンソロジーを所有していたようだ、ということもわかりました。当時の新青年の翻訳者は自分で原文を探してきて編集部に持ち込む、というスタイルだった、との乾信一郎さんの証言がありますが、新青年 昭和13年(1938)新春増刊 探偵小説傑作集に含まれる延原謙訳の小説は全てがこのアンソロジーに含まれているようです。具体的には

#72 玩具の家の喜劇 (E・ブラマー)

#55 十一對一 (ヴインセント・スターレツト)

#87 指 (A・J・リース)

#13 猫室(エドウイン・ベヤード)※

#63 良人のない妻 (E・スネル)※

(#は本アンソロジー収録順の通算番号。詳細は『ミステリの祭典』をご覧くださいね。※付きは原文と未チェック)

そして延原謙さんは新青年 昭和9年(1934)2月春季増刊 傑作探偵小説集 (v15#3)にこの駄文の主眼であるアントニー・バークリー作「偶然は裁く」を翻訳しています。これも『世界ベスト100探偵小説』由来であることは多分間違いないでしょう。

 

真田啓介さんの「The Avenging Chance の謎」では、

「偶然の審判」 の書籍形態での初出が The Best Detective Stories of the Year 1929 (Faber, 1930) である

とされているのですが、実はWorld's Best 100 Detective Stories(Funk & Wagnalls 1929)の方が一年早いのです!(これはFictionMags Indexにも書かれているので真田さんももうご存知でしょう)

本アンソロジーは1929年出版なので、The Avenging Chance初出の通説Pearson's Magazine, September 1929は、編者が読んでアンソロジーに収録するには間に合わないはず。実際、このアンソロジーなかで一番雑誌発表が遅いのはArgosy Allstory Weekly 1928-11-24のフットナー作「ファーンハースト邸の殺人事件」#37です。

そして真田啓介さんが疑問を呈しておられる、「偶然の審判」 のコピーライト1928年問題(サンドー説では「1928年発表」となっているが、根拠が見つからず、誤記かもしれない)は、『世界ベスト100探偵小説』のThe Avenging Chance のコピーライト欄に記載されているのでは?(このアンソロジーの各作品ごとのコピーライトは各作品の最初のページの欄外最下段に記されている)

*コピーライト表示の例。最終行に注目!

残念ながらInternet Archiveには本アンソロジーの2,7,10巻が欠けています。The Avenging Chance(第2巻収録)のコピーライト欄を確認するには、原本にあたるしかないのです… さっそくeBayでポチりました。到着は4月14日の予定。

 

私は何かの米国雑誌に1928年に発表された、という仮説を立てています。残念ながらいつも役に立つFictionMags IndexにもThe Avenging Chanceの初出はPearson's Magazine, September 1929となっているのですが… (FictionMags Indexの登録雑誌の充実ぶりから考えると有名な米国雑誌には掲載されてないのかなあ…)

英国での初出はPearson誌1929-09で間違いないと私もずっと思っていて、真田さんは新聞連載の可能性もあるかも?としていますが、逆(雑誌→ローカル新聞)はあっても「新聞発表が先」は作家の旨みが少なすぎて(私は雑誌の初回連載権の方が当時は高額だったのでは?と睨んでいます…)まず有り得ないのでは?と空想しました。それに新聞なら連載権を短篇小説で、というのはメリットが少ない。定期購読を伸ばすという営業戦略なら長篇に限るのでは?

それにPearson誌当該号は表紙絵がThe Avenging Chanceで大々的にフィーチャーしてるんですよ。

再録ならこんな扱いにはならない、と思います。

米国雑誌が先で数か月後に英国雑誌というのは、当時たくさん前例があり、なんせ米国の方がお金持ちなので世界初出権が米国に持っていかれることは良くありました。本アンソロジーの#51 ドイル作「三人ガリデブ」はストランド誌(1925-01)を差し置いてコリヤーズ誌(1924-10-25)が先に発表しています。

 

<追記>

結果に愕然!

コメント欄(承認制)を用意しましたよ。https://danjuurockandroll.hateblo.jp/entry/2024/04/16/134429