十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

廻転式拳銃とエジプト十字架

2023-8-24はてブ公開

絶望したボルヘスが拳銃とエラリー・クイーン『エジプト十字架』を持ってホテルに泊まり、自殺するつもりだったけど、その探偵小説があんまり面白くて朝になっちゃったので生き続けることにした、というのを一年ほど前にWebで知り、ずっとどこ情報なのか、が気になっていた。

やっとそれっぽいのを見つけたので、124回目の誕生日記念に発表!

 

Donald A. Yatesのエッセイ≪Behind ”Borges and I”(Modern Fiction Studies 1973年秋号Vol.19 No.3より)

ボルヘスの友人で研究者でもあったYatesボルヘスから構想ノートを見せてもらえた。その内容を初めて紹介しましょう、というエッセイ。

以下は1940年ごろ書かれたらしい、ボルヘス自筆の構想ノートのあるページから。

当時ボルヘスはブエノス・アイレスの小さな図書館勤め、周りに文学的素養のあるものは全くおらず、いっときなど、写真と名前が載っていた著者近影をボルヘスに見せた同僚がいて「これあんたとおんなじ名前だが知った奴かね?」と聞いてきた。その写真はボルヘスがたっぷりヒゲを生やしてた時期のものだったので(図書館勤めの時は綺麗にヒゲを剃っていた)「知らんねえ」と答えた、という。孤独な生活だったのだ。

※ヒゲもじゃボルヘスの写真が見たくて探したが、Webには見当たらなかった… このエピソードもボルヘスが盛った話か?

以下、Yatesのエッセイには原語(スペイン語)は示されていない。英訳はYatesのものだろう。簡単な英語なので翻訳はつけません… (注は私が作成した)

Jorge Luis Borges

The other J. L. B. (the other and real Borges, the one who justifies me in a sufficient but secret way) carried out that afternoon (perhaps for the first time) his duties as second assistant (two hundred and ten pesos a month: with deduction, one hundred and ninety one) at a certain illegible library in the hinterland of Boedo*1, acquired a revolver in one of the gun shops on Entre Ríos Street*2, acquired a novel he had already read (Ellery Queen: The Egyptian Cross Mystery) at Constitución Station*3, bought a one-way ticket to Adrogué-Mármol-Turdera, went to the Hotel Las Delicias*4, consumed and left unpaid for two or three strong brandies and shot himself with a definitive bullet in one of the upstairs rooms. (後略)

*1: ブエノス・アイレスに実在する地区

*2: ブエノス・アイレスに実在する通り

*3: ブエノス・アイレスに実在する駅

*4: アドロゲに実在するホテル。幾つかのボルヘス作品の舞台として知られる。Tlönに出てくる「アドロゲのホテル」もここらしい

※1940年の1ペソは同年の$0.22相当。乱暴な換算だが米国消費者物価指数基準1940/2023(21.84倍)で、当時の1ペソ=現在の$4.8、698円。手取り月給191ペソは13万円ほど。

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まあこの文章の感じならボルヘス得意の自分を登場させるフィクション(ここで自殺は実行しちゃってる)としか思えない。つまらない人生にケリをつけたい、という夢想は当然誰しもが思うことだろう。ボルヘスはある時、実際に計画を途中まで実行したのかもしれないが

『エジプト十字架』の出版年を考慮すると19321940年の出来事か。1935年の誕生日という説も見たことがあるが、根拠の調べはつかなかった。

 

まあそれはともかく私にはこのリボルバーが気になる。

手がかりはほとんどないが妄想してみよう。

絞り込む条件はこんな感じ。

1)1930年代にアルゼンチンの銃砲店にも流通していた

2)米国製を選ぶのでは?

3)自殺用なのでバレル長は短い方が安心(こめかみに当てることを想定。バレルを咥えるなら銃身が長い方が良いが、みっともないでしょ?)

というわけで、独断と偏見でコルト・ポリス・ポジティブ・スペシャルの4インチ銃身を推す! ありふれてて、ちょっと投げやりに選んだ感がよく出ている、と自画自賛

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※コルト社1905年の広告

探偵小説『エジプト十字架』の方は、何でこれを選んだのかがよくわからない。その時たまたま駅の売店の書棚で売っていた探偵小説だったから、なのか。人生最後の本に、ゴリゴリの文学作品を選ばないところが、その時のボルヘス君の気持ちを良く表している、と作者は思ったのだろう(しかも一度読んだことのある探偵小説である)

 

私は「エジプト」と「十字架」の言葉がピンと来たんだろうと思う。

古い異教の神々に溢れたEgypt、究極の自己犠牲であるCross上での死。

そういうイメージを喚起させる題名。

なお、ボルヘスエラリー・クイーンの傑作としてThe Egyptian Cross Mystery, The Dutch Shoe Mystery, The Siamese Twin Mysteryを特に挙げている(EQ作“Halfway House”の書評、雑誌Hogar 1936-10-30より)

 ※米版ペイパーバックは1943年が初版なので、当時流通してたのはこのハードカバーだけの筈(だとすると駅売の書棚には無さそう…)

 ※アルゼンチンの雑誌Leoplanの1938年3月号にスペイン語版が掲載されていたらしい

最近タナカ・ワークスからColt Police Positive Special(モデルガン)が発売されたので、これとEQ『エジプト十字架の秘密』(新訳)を手に入れて、電車で近くの町を訪れ、何処かのホテルに泊まり、強いブランデーを二三杯飲み、ボルヘス気分を味わうのも良いだろう

二冊も新訳があって、日本のエラリー人気はすごいなあ! どっちが良いか迷うよね…