十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

屁理屈好きで、無能で、怠け者な私

シミルボン投稿日 2021.08.26

↑『伝奇集ホルヘ・ルイス・ボルヘス 篠田一士訳 集英社 現代の世界文学(1975)

よく考えたら、前回の駄文で西洋文学の大家である篠田一士先生に喧嘩を売ってますね!
今回は、ちょっとだけ根拠を。いわれのない中傷、と思われたら嫌なのです私は篠田先生の情熱のこもった文章がとても好きで、数々の西洋文学を篠田先生にご紹介いただいたおかげで読みたくなった、という恩もたくさん受けているのですから。
今のところ、私が出来ている詳細な分析は『伝奇集』の序文どまりなんですが、最初の方で、既に問題が発生しています。この程度は「誤訳」の範疇に入りませんが、探偵小説におけるネタバレという禁を無駄に犯しているのです。(なのでネタバレ絶対イヤ、という方は短篇『八岐の園』を読んでから、以下を参照願います。)

実は『伝奇集』(Ficciones, 1944)という本は、ボルヘスが既に出版していた短篇集『八岐の園』(El Jardín de senderos que se bifurcan, 1941)に「工匠集」と題する部分を付け加えたもの。なので以下に引く序文は短篇集『八岐の園』出版時につけられたものです。(19411110日という日付が記されている。)

さてこの序文(プロローグ)の冒頭でボルヘスは宣言します。以下、日本語は篠田訳、は原文、は英訳(Viking Penguin 1998)、◆は仏訳(Gallimard 1965)

八番目の『八岐の園』は推理小説である。
★La octava, "El jardín de los senderos que se bifurcan", es policial;
■The eighth piece, “The Garden of Forking Paths,” is a detective story;
La huitième (Le jardin aux sentiers qui bifurquent) est policière ;

読者は一人の犯罪者の死刑とそれに先立つすべての行為に立ち会うだろう。その犯罪者の目的を読者が知らないわけではないが、最後の段まで――とわたしには思われる――それを理解しないだろう。
★sus lectores asistirán a la ejecución y a todos los preliminares de un crimen, cuyo propósito no ignoran pero que no comprenderán, me parece, hasta el último párrafo.
■ its readers will assist at the execution, and all the preliminaries, of a crime, a crime whose purpose will not be unknown to them, but which they will not understand—it seems to me—until the last paragraph.
les lecteurs assisteront à l’exécution et à tous les préliminaires d’un crime, dont l’intention leur est connue, mais qu’ils ne comprendront pas, me semble-t-il, avant le dernier paragraphe.

格調高く日本語にするのは私の手にあまるので、くだけた感じでボルヘスさんの言いたかったことを表現してみると(念押ししておきますが私はスペイン語の知識がほとんどありません…)

犯罪の執行(ejecución)とその準備、が読者の目前に示されます。でも、目標はわかるが意図が理解できない(そうなってるといいんですけど)、最後の文章までは。
(2021-9-4
逆の意味になりかねないので、最後の「は」を追加)

いかにも探偵小説らしい工夫の小説ですよ!という自己紹介ですね。me pareceは工夫を凝らした作者の謙譲と解したいです。(英訳も仏訳もそんな感じに訳して無いようですが)
なので篠田訳の「死刑」はちょっとどうなのかなあ。私の感じではぼかして欲しいところ。「犯罪者の死刑」となったら、さらにミスディレクション過ぎ。遠目で合ってる、の類でしょう。(犯罪者は、後々死刑になるので間違いじゃないですし、犯罪者の(実行した)死刑という読みもあり得ますが、原文で言ってるのは、そういうことではないでしょう。)

この序文ではほかに、

他の作品は幻想である。
★Las otras son fantásticas;

上の文に続く文章なんですが、八番目がpolicial(探偵小説的、形容詞)で、他はfantásticas(形容詞)と書いてるんだから、対比的に「幻想小説」だよなあ… (思い切って「SF」としても良いかも。多分、ボルヘスのイメージにあったのはH. G. ウエルズやフィッツジェイムズ・オブライエンあたり。まあでも「アル・ムターシム」とか「ピエール・メナール」、「ハーバード・クエイン」などは全然サイエンスっぽくはないですけど…)

より論理的で、より間のぬけた、より怠惰なわたしは想像の本についてのノートを書くほうをえらんだ。
★Más razonable, más inepto, más haragán, he preferido la escritura de notas sobre libros imaginarios.

最初の「論理的」は、「理屈っぽい」とかの否定を含む感じなのでは?とか、

『アル・ムターシムを求めて』では、ナレーターがBを通じて、Bの知らない、非常にはるかなこの存在を予覚あるいは予知しているのである。
★en El acercamiento a Almotásim, presiente o adivina a través de B la remotísima existencia de la Z, quien B no conoce.

せっかくBからZという遠い感じを出してるのに、なんでZを省くの?とか

いろいろニュアンス的にどうなのか、という結構不満が多いのでした。

でも私が見つけた、篠田訳のこの序文での最大の問題点は、最初のネタバレ文程度なので、全体的に誤訳では全くありません! 文章の格調も素晴らしいです。でも、そろそろ誰かが決定訳を出しても良いのでは?と若いラテンアメリカ文学研究者の奮起を期待したいです