十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

チャンドラー、ボガート、ボーセージ (To say good-bye is to die a little)

シミルボン投稿日 2021.09.04

(シミルボンのお題「この「ひとこと」だけで読む価値がある!」に「字幕とミステリ(チャンドラー、ボガート、ボーセージ)」というタイトルで投稿したもの)

チャンドラーの名訳者、としても知られる清水俊二さん。私も『長いお別れ』の名調子に酔ったものだ。もちろん沢山の映画字幕でもお馴染みの名前だった。
だが最近は

などで細かいところでは結構なトバシがある翻訳であることが暴露されてしまった。(上記二冊とも表立って非難はしていないが…)

↑上が新版2007年、下が旧版2000年出版

『新編 戦後翻訳風雲録』(2007)では削除されているが、元本『戦後「翻訳」風雲録』(2000)には「清水俊二」の一章があり、そこに著者が目撃した清水さんの翻訳作業の描写がある。

彼の翻訳の仕方は、原文をパラグラフごとにしばらくの間、喰い入るように読み、それから原文を見ずに、凄まじい勢いで原稿の升目を埋めていく。それを繰り返して進めていくことである。もちろん、その前に映画の字幕翻訳と同じく何回も原書を読んでいる。彼のチャンドラー名翻訳の秘密は、その原文を自家薬籠中のものにして、一気に訳すところにあったのではないか。

豪快ですね。でもこーすれば、一旦身体を通るので、たしかにちゃんとした日本語になる。本人としては、細かい抜けのチェックなどは編集者にお任せ、という事だったのかも。

多少の抜けや解釈の誤りはあっても、私はこの翻訳が大好き。某M訳のふやけた文章なんて見たくもない。


さて、本題だ。
チャンドラーの名文句として、日米で有名なのが、これ。(意外にも「タフでなければ」の方は米国では全く人気がない。)

さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。(『長いお別れ』(1953)50章から)

タクシーで去った女を思うおセンチな場面。
この句の由来はチャンドラー自身が、こう書いている。

The French have a phrase for it. The bastards have a phrase for everything and they are always right. To say good-bye is to die a little.
こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。(以下、略。清水俊二)

The bastards(「あいつら」と訳したい)フランス人の言葉、ということで、たまたま家にあった仏訳(“Sur un air de navaja” Gallimard 1954、翻訳H. Robillard & J. Hérisson)を見てみると、こうなっている。(なお、この仏訳はかなりの省略あり。この箇所が第46章になってる)

Les Français ont une expression pour ça. C’est salauds-là ont toujours le mot de la situation. Partir, c’est mourir un peu.

まあ、ちょっと調べると元ネタは、フランスの詩人Edmond Haraucourt(1856-1941)Rondel de l’adieu(“Seul, roman en vers” 1890の第1番目の詩)の一行目だよ、って分かる。この詩の全体は以下の通り。

RONDEL DE L’ADIEU

Partir, c’est mourir un peu,
旅立つ、それはちょっと死ぬこと
C’est mourir à ce qu’on aime :
その死は、愛した片隅で
On laisse un peu de soi-même
人は自分自身のかけらを置いてくる
En toute heure et dans tout lieu.
過ごした時間に、過ごした処所に

C’est toujours le deuil d’un vœu,
それはいつも結局、希望を葬る
Le dernier vers d’un poème ;
詩を締めくくる最後の一行
Partir, c’est mourir un peu,
旅立つ、それはちょっと死ぬこと
C’est mourir à ce qu’on aime.
その死は、愛した片隅で

Et l’on part, et c’est un jeu,
それでも人は旅立つ、それは人生の戯れ
Et jusqu’à l’adieu suprême
最後の別れが来るまでは
C’est son âme que l’on sème,
自分の魂を撒き散らす
Que l’on sème à chaque adieu :
撒き散らす、別れのたびに
Partir, c’est mourir un peu…
旅立つ、それはちょっと死ぬこと
(
拙訳)(2021-9-4、二行目をちょっと変更)

私が引っかかったのは、『長いお別れ』では、PartirTo say good-byeと訳してるところ。普通は To part To depart だろう。この詩の英訳をあたってみたが、皆そう訳していてto say good-byeは見当たらない。この意訳は何処から?(チャンドラーの創意なのか?)

いろいろ探すと、ボガートがバコールに書いたラヴ・レターに、まさにこの表現があった。

“And now I know what was meant by ‘To say goodbye is to die a little’ – because when I walked away from you that last time and saw you standing there so darling I did die a little in my heart.”
「さよならを言うことは、ちょっぴり死ぬことだ」という歌の文句がいまはよくわかる——だって、このあいだ、きみと別れて去ってゆくときに、立ちつくすいとおしいきみの姿を目にして、わたしは心のなかでちょっぴり死んだんだよ(山田宏一 )

バコール『私一人』(1978))より。映画『脱出』完成の頃なので1944年のこと。事情を考えると(女性は恋文を大切に保管してるものだろうから)ここはボガートが書いた表現のままだろう。なお原文に「歌の文句」は無い。

とすると、映画関係者によく知られていたクリシェなのか?(如何にもクリシェ臭が漂ってるよね。過剰にセンチメンタルだし…) チャンドラーは1944年ごろからハリウッドでシナリオ・ライターをしてたから、その頃知ったのかも。(チャンドラーは、ボガートとバコールが主演した『三つ数えろ(1946, 大いなる眠り)の原作者だったから、直接ボギーから聞いたのか?)

 

結論から言いましょう。実は私はサイレント映画の字幕で、偶然、この文句を見つけたのです!
YouTube
で手軽に見られるので、皆さまも確かめてください。
Frank Borzage
監督“Back Pay”(1922、トーキーで再映画化1930があるので間違えないように)18:40ごろの字幕に注目!

(まさに別れのシーン、男の心情…)


www.youtube.com

 

私の推理はこうだ。
この詩は元々発表当時二人の作曲家(Isidore de Lara(1895)Rondel de l'adieu及びPaolo Tosti(1903) La chanson de l'adieu)が取り上げて歌曲にするくらい、フランスでは有名だった。

特に出だしのPartir, c'est mourir un peuは、アルフォンス・アレ(1854-1905)がもじって

Partir, c'est mourir un peu, mais mourir, c'est partir beaucoup
(
別れるのは、ちょっぴりと死ぬことだが、死ぬのは、たっぷりと別れることだ)

とふざけてるほど有名な文句で、フランスでは諺っぽい扱いも受けている。
そこからフランス映画のサイレント字幕(別れの場面)に採用となり(これは確かめていない)、米国映画にも流れてきたのではないだろうか。(もしかするとTo say goodbyeの初出は、上記のサイレント映画の字幕なのかも)

 

歌曲の方は、Paolo Tosti(1903) La chanson de l'adieuの方が圧倒的に有名。三大テノールも歌ってるから、YouTubeで聴くことが出来る。(山田宏一さんが「歌の文句」と翻訳したのは、この歌曲が念頭にあったからか)


日本では西条八十が、こんな翻訳を残している。

『別れの唄』詩: アロークール 訳: 西条八十

出発するということは、いくらか死ぬことである、
愛するひとに対して、死ぬことである、
人間は一々の時間の中に、一々の場所の中に、
自分を少しずつ残してゆく。

それはいつも願望の喪失であり、
詩の最終の言葉、
出発するということは、いくらか死ぬことである。
出発なんか、至高の別離すなわち死の別れにくらべれば
遊びのようなものであるが、
その死の時まで、人間はさよならを言うたび、
自分の死を、そこに植えてゆく、
だから、出発するということは、いくぶん死ぬことである。

二行目は、私が参照した英訳でも、八十さん同様「愛する物/者に対して」となってるのだが、でもフランス語のmourir àの次に来るのは、ほぼ場所だと思う。続く、自分のかけらを場所場所に置いてくる、とも繋がるし

なお、Google Playで元の詩集のファクシミリ版が手に入る。活字版は仏Wikiに載っているので、興味のある方はぜひどうぞ。

 

誰かフランスのサイレント映画に詳しい人、Partir, c'est mourir un peu字幕の目撃情報があったら教えてほしい。