十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

離婚って大変だったんだ

シミルボン投稿日 2020.09.27

ソーンダイク博士って、ご存知? かつてはシャーロックの最大のライバルと目されていたこともあるんだが… 戦後、日本ではすっかり忘れられた知る人ぞ知る状態で、翻訳はデビュー作の長篇『赤い拇指紋』(1907)と短篇集2冊だけ、という状態がしばらく続いてた。最近やっと他の長篇が紹介されている感じ。ああそうそう倒叙物の創始者、という評判は日本でも昔から有名で代表作「オスカー・ブロズキー事件」は江戸川乱歩編『世界短編傑作集2』に収録されている。
まあそんなソーンダイク博士の短篇全集が、やっと刊行開始となった。第一巻は1908年から1911年までの雑誌掲載のもの(シャーロック・ホームズ『最後の挨拶』収録作品とほぼ重なる時期。チェスタトン『ブラウン神父の童心』もこの頃)。
ハンサムだが地味な探偵なので、物語の起伏があんまりないけど、WWI前の英国が描かれている。ヴィクトリア女王の後、エドワード七世の時代。当時の英国ファンには特にお薦め。なんと言っても初出雑誌掲載時のイラストを全部収録してるのが素晴らしい!


ミステリ的な評価やトリビアについては

「ミステリの祭典」ミステリの採点&書評サイト

を参照願います。


実は既訳(創元推理文庫)短篇集にはちょいちょい誤訳(といっても大抵は話に影響がないもの)があり、特にひどいのがこれからのネタ。(なお「大久保康雄」は一種のハウスネームで中村能三をはじめとする多くの翻訳者の集合名でもあった。多分、この短篇集の多くの部分が経験不足の下訳者のものだったのだろう) まーお陰でいろいろ調べるきっかけになったのだが、これから読む人にはちょっと高いけど、渕上さん個人訳のこの短篇全集が良いよ!と言っておこう。
さて問題の作品は「フィリス・アネズリーの受難」Phillis Annesley’s Peril (初出Pearson’s Magazine 1922-10 挿絵Howard K. Elcock) 創元文庫では「事件簿2」に収録。渕上さんの短篇全集では第三巻に収録。

翻訳の何がダメかって言うと、男女関係の綾が上手く表現されてない。
創元文庫の表現を元に、はしょって示すと(夫とミス・アネズリーの弁護士の語る話)

この夫婦は結婚したが、趣味が合わず、勝手に生活することに。決して仲が悪いわけではなく、夫はいつも妻に気前よく生活費を渡し、家計をいっさいまかせてた。夫とアネズリーは数年前からの知り合いで、別にいやらしい関係ではないが、非常に親密だった。妻とアネズリーもかなり仲が良かったのではと思う。夫がアネズリーに好意を抱いているのは知ってたようだが、たいして気にしてなかったようだ。離婚話はあるはずがない。どちらももちだす根拠がないから

いかがでしょう。なんとなくピントが外れてると感じませんか? 離婚なんて夫の方は望んで当然のシチュエーション!
拙訳で同じところを原文に沿ってまとめると

この夫婦は結婚したが、上手くいかず、それぞれ生活することに(go their own ways「別居」の婉曲表現かも?別のところで失踪事件前には夫婦は別居していた、とある)。敵対(unfriendly)していたわけではなく、夫は金銭的な義務をきちんと果たしており、妻に自由にお金を使わせていた(allowed her liberal maintenance)。夫とアネズリーは数年前からの知り合いで、不適切な関係を示すものはない(no suggestion of improper relations)が、二人は明らかに愛情を表していた。妻の方ではアネズリーとは礼儀ある関係を保っていた(on quite civil terms)。夫がアネズリーに好意を抱いているのを妻は気づいていたようだが、反感は表していなかったという。離婚は出来なかったでしょう(It couldn't be [raised])。どちら側にも認められる根拠がないので(There were no grounds on either side)

まあそんな訳で、当時の離婚が認められる条件って何だろ?と調べたら、意外にも非常に厳しい!(だって自分の離婚問題でカトリックから離脱したヘンリー八世の国ですぜ)
詳細はWebにも公開されている田中和夫さんの素晴らしく面白い論文「イギリス離婚法の沿革」(1974年)をぜひ見ていただきたいのだが、1923年の改正でようやく夫の不貞行為が離婚訴訟の事由となり(従前は妻の不貞行為のみ)、訴えた側にも不貞行為があった場合は却下、というもの。その他の認められる事由は夫が不貞行為に加え重大な虐待や遺棄又は近親婚や重婚など結婚事由が間違っていた場合だけ。その上、時間も費用もかかり庶民にはほとんど困難だったようだ。米国では既に1909年にネヴァダ州リノが「離婚の元締め」と呼ばれてたのに…(当時は6箇月の滞在で自由に離婚が可能だったようだ)
つまり、この物語の舞台(1922年ごろ)だと、どちらの側にも離婚事由のかけらもない。
さらに1937年の改正で、アガサ・クリスティ作『××』(ネタバレを防ぐために内緒)の殺人動機だったアレも離婚事由として認められることになった。ああ、あの人も数年待ってれば殺人を犯さなくても済んだのに… と感慨深い。
(実はアガサさん自身の離婚成立も1937年の大改正前で、結構大変だったと思う。多分、夫アーチーの不貞行為を理由にアガサさん側が訴えたのだろう。この時の離婚の大変さの経験が上記『××』の発想のもとだったりする?)