十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

スポーツ用語と翻訳

シミルボン投稿日 2021.11.18

最近、翻訳のことばかり書いてるような気がします。
私は子供の頃、人と話すのが苦手で、翻訳者って書斎でコツコツ仕事が出来そうで良いなあ、と妄想していたことがあり、当時は「翻訳の世界」という雑誌を毎号購読していました。けれども田中小実昌さんの翻訳者後書きなどを読んで、ネイティブのアドヴァイスをもらわないと誤訳がゴロゴロ状態になっちゃうぞ、結局対話力はどこでも必要なんだ、ということに気づいて、他人の思考を日本語に直すのはストレスだなあ、とも思い、最後に自分の英語力が全然ダメダメだったので、翻訳者は諦めたのでした。
でも、その名残りで気になることは調べたい、という思いが強くていろいろ事典を買うのが趣味になり、さらにインターネットが調査を容易にしてくれました。日本に居ながらにして海外の情報がWeb検索で簡単に入手出来ますし、動く映像もYouTubeが豊富に提供してくれます。音楽もマイナーなのもかなり聴くことが出来ます。古い書籍だとGoogleのプロジェクトで無料電子化されていることもあるのです。昔読んだミステリの原文も電子書籍で入手がかなり容易になっています。


さて、これからが本題。
スポーツ用語って翻訳者にとってかなりの難物だと思います。Webサイト「ミステリの祭典」でも書きましたが、アメフト用語を(多分アメフトに詳しくない)翻訳者が、健闘してるにも関わらず、ニュアンスずれしたような翻訳になっていて、これ、文法的には合ってるけど、結果は誤訳となってる典型例になるかも、と気づいて、ちょっと長めに書いてみたくなったのです(ミステリとしての評価は、いつものように「ミステリの祭典」を参照願います)

ミステリの祭典

 

作品はHH・ホームズ作「フットボール試合」(1943)、創元文庫『犯罪の中のレディたち()』に収録。(以下、下線は私がつけたもの)

<原文>
Bellarmine trailing 14-13 with less than a minute to play. Bellarmine’s ball on the midfield stripe, fourth down and twelve to go. And you produced a fifty-yard punt that went out of bounds within the one-yard line and set the stage for
Wozzeck’s blocked kick and the safety that gave Bellarmine the game 15-14.
<翻訳>
競技時間が一分たらずしか残っていないのに、ベラミンは1413で負けていました。ボールの位置はハーフライン上、ベラミン側の攻撃で、第四ダウン残り12ヤードでした。ところが、あなたは50ヤードのパントをやってのけ、それがゴールまで1ヤードのところでサイドラインを割った。ところでウォゼックがキックしたボールがブロックされ、それがあなた側のセイフティにつながり、ベラミンが1514で勝ったのです。
<試訳>
ベラミンは1413で負けており、試合時間残り一分たらず。ベラミンのボール位置はハーフライン上、第四ダウン残り12ヤードでした。そこであなたは50ヤードのパントを決め、ゴールから1ヤード以内でサイドラインを割ったのです。これがウォゼックのパントブロックとセイフティにつながり、1514でベラミンが勝ちました。

アメフト用語が沢山出てくるので、知らない人にはちんぷんかんぷん。試合経過については「ミステリの祭典」に簡単に解説しました。本稿のテーマは「文法上は合ってるけど誤訳」

Wozzeck’s blocked kickを、翻訳者は「ウォゼックがキックしたボールがブロックされ」と訳しています。私の試訳では「ウォゼックのパントブロック」としています。
ここでのkickがパントであることは、アメフトを知っていれば状況から絶対確実なのであえてパントと訳しました。問題はウォゼックがキックしたのか、ブロックしたのか、です。
blocked kick
なら「ブロックされたキック」なのだから、キックが語の中心。なので文法的には語の前に所有格で置かれているのはキックした人で間違いないはず。でもアメフトのルールを考慮すると、キック自体をブロックするのは反則です(Roughing the Kickerになる)。キックされたボールをブロックするのはOKですが。
スポーツ用語は長年、実況の言葉を磨いていくので、言葉が節約される傾向があるのでしょう。つまり、the blocked kickという用語はthe blocked ball of the kickというような言葉の短縮形だと思われます。Webで使用例を探すと、the blocked kickは「ブロックする行為」または「ブロックされたボール」を意味していて「妨害されたキック」が主眼ではありません。
実はこの短篇の中でも「ブロックされたボール」という意味での使用例があります。

…that resulted in a touchdown when a blocked kick sailed into Cyrovich’s arms.
<試訳>
パントブロックしたボールがシロヴィッチの腕にとび込みタッチダウンというプレーに繋がった。

翻訳者にならないで良かったなあ、と本当に思います。
そして翻訳者の皆さま、多少の誤訳は全然オッケーですので(「欠陥翻訳」とは1ページ内に多数の誤訳がある場合のみを意味する!by別宮先生)、気にせずどんどん外国作品を読みやすい日本語にしていただければ、と願っています。近年、翻訳文学が売れていない、という話も聞こえて来て、翻訳で育った人間としてはとても寂しいのですが

 

(2023-8-21追記) 某Tubeの動画で blocked  kick の実例をどうぞ


NFL Blocked punt/kicks of the 2021 Season!