シミルボン投稿日 2020.10.11
この本の紹介文に「1794年5月から〜」とあるが、もともとの和暦 寛政六年五月は1794年5月29日から6月26日までなので、ギリギリ合ってる?でも書いたヒトは「寛政6年(1794)5月」という表記を勘違いしただけだろう。この表記法、ホントにやめて欲しい。少なくとも「寛政六年(1794)五月」とするだけでも結構誤りが減ると思う。
本書では絵を比較してるのだが、写楽と春朗(北斎が歌舞伎役者を大量に描いてた頃の画号)が似てる、というが、他の画家とかとの似具合いとか浮世絵の標準画法と比べて、作者が限定されるほど似てるのか? そこが素養のない私にはわからない。挙げられている数々の「証拠」も法廷なら疑わしきは罰せず、無罪、となるレベルだろう。
最近、北斎の板木の裏に写楽のごく一部の板木があった、という発見があったらしい。この事実は筆者の同一人物説をどの程度裏付けるものなのか。版元が同じなら、板木の再利用は他の画家のでも十分にあり得ると思うが…
まあ北斎空白の時期とピッタリ、とか「アほくさい」と「しゃらくさい」と名乗るメンタリティは確かに共通のものだと思う。
なにより心をもってかれるデザインの迫力は両者から同じものを感じてしまう。
だが文献的には能楽師の斎藤十郎兵衛が写楽、というので間違いないらしい。(山下裕二さんが一番信頼する浅野秀剛さんの説では98〜99%)
でも斎藤はシロートじゃん。じゃあ誰かに弟子入りしたのか。
その師匠って実は北斎!(当時は「宗理」か?)なんじゃね?と急に私の妄想が大回転。
以下は断片的な会話でお送りします。
蔦重「オメーが歌舞伎絵辞めるって言うから、代わりを探さんとなあ」
宗理「最近、絵を辞めて暇なんで能に凝ってるんだが、オレに憧れてシロートなりに役者絵をオレ風に描いてる奴がいるよ… オレはもう江戸を出たいなあ」
蔦重「おお、そいつを連れてきな。二代春朗として売り出してやろう」
斎十「表に名前が出るとシャレにならないので、どうぞよろしく」
蔦重「宗理、こいつが一本立ちするまで教えてやってくんな。旅費ははずむぜ」
(しばらく後、斎十デビュー直前)
宗理「これ出すの?せっかく面白いとこがあんのに台無しだ… 旅に出る前にちょっくら直してやろう」
蔦重「うわ!十郎兵衛、これ本当にお前の手か?」
斎十「いや、あたしのをチョチョイと兄さんが…」
蔦重「こりゃすげえ。雲母地にしたら映えるぜ… 思い切ってやっちまうか。ホントにあいつはしゃらくせえ奴だ…」
でもって二期目からは格段に落ちちゃった、と言う訳で…
全部あたしの妄想です。ハイ…