十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

ハメットとクイーン

 


この駄文はWebサイト『ミステリの祭典』に、断片的に書いたものをまとめたもの。なので既視感があっても不思議じゃないですよ!

 

ダシール・ハメット(1894-1961)って、日本ではイマイチ人気がない。チャンドラーは大人気。私のブログの最高傑作(しつこいよ)もチャンドラーネタ。

短篇全集はチャンドラーなら老舗2社(早川と創元)から出てるのに、ハメット短篇全集は、創元が企画途中でぶん投げられている。ハードボイルドを創ったのはハメットだ!と崇められてるのにね…


EQことエラリー・クイーン(ダネイ1905-1982、リー1905-1971)とは、長篇発表がほぼタメ、ハメットは短篇で1922年デビューだけど。


ハメット最初期の作品を見ると、ちょっと捻くれた日常スケッチ、という感じ。血みどろになるのはブラック・マスク誌のコディ編集長の時だ。(多分ハメットがBlack Maskingと言ってたのは、殴り合いやガンファイトを足したり、死体の数を増やしたり、という作業を自嘲したものだと、私は勝手に想像している…)

ハメットの場合、日常とは探偵稼業の事だった。だから必然的にミステリに関係するようになっただけ。


これはハメットねたが超面白いブログ(Don Herron主宰のWebサイト “Up and Down These Mean Streets”のHammett: Book Reviewer参照)で知ったのだが、ハメットは1920年代後半に誰かのツテで一流批評誌The Saturday Review of Literatureにミステリの書評を担当している。日本で紹介されたのはヴァンダイン『ベンスン殺人事件』を評した文章(署名入り、January 15, 1927)。でも、この翻訳(上記アマゾン本に所載)、もっとも面白いマクラ部分を何故か省いているので、ここでご紹介。


長いこと民間探偵局に勤め色々な街で働いたが、探偵小説を読むと言った同僚は一人だけだ。「たくさん読むよ」と奴は言った。「日々の探偵仕事でウンザリしたら、リラックスしたいのさ。日常家業と全く違うもので気を紛らわせたい。だから探偵小説を読む」

奴なら“False Face”が気にいるだろう。これには日常業務で起こりうる事と全く違う話が書かれている。

と最初の作品の評に入ります。


ラインナップは探偵もの長篇小説五冊(いずれも1926年出版)、順に①False Face by Sydney Horten ②The Benson Murder Case by S.S. Van Dine ③The Malaret Mystery by Olga Hartley ④Sea Fog by J.S. Fletcher ⑤The Massingham Butterfly by J.S. Fletcher.


原タイトルは“Poor Scotland Yard!”で、最初の作品が英国もので、信じがたいほど間抜けな組織としてスコットランド・ヤードが描かれていることから。

…しかしながら兄弟国を笑ってばかりもいられない。同書に出てくる米国シークレット・サービスや、『ベンスン殺人事件』のニューヨーク警察やD.A.も同じ調子なのだから。

という感じで、「ベンスン評」に続きます。


こうなると、ほかに有名作品を評していないの?とリストを確認しちゃいますよね。(詳しくは上記ブログの記事を参照願います)

私が注目したのは以下の二冊。


一冊目はセイヤーズ『ベローナクラブ』(匿名、Saturday Review October 27, 1928)


かなり良い探偵小説になるはずだった作品。犯罪やそれに至る動機は相当に納得のいくものだ。[評の中盤はストーリーの要約なので省略] だが展開が遅すぎる。これが本書の問題点。展開が遅いので読者をびっくりさせられない。筋を予想する時間がたっぷりあるので、特に鋭敏でない読者にも一章分から六章分くらいの先が余裕で読めるだろう。

(ストーリー要約以外は全文を翻訳)


そして二冊目はこれ!


エラリー・クイーン『ローマ帽子』(匿名、Saturday Review October 12, 1929)


この「推論の問題」は二人の新探偵クイーンたち(父と子)のお披露目である。愛想良い嗅ぎタバコ好きとファイロヴァンス風の本の虫。感じは良いが、ちょっとウブ過ぎで会話がchorus-likeに過ぎる感じ。[評の中盤はストーリー要約なので省略] 小さな欠点(劇場支配人が座席表を知らなかったり、動機がちょっと前の劇場ミステリに使われていた)を除けば、本作は本格(straight)探偵小説好きの要望にかなう作品だ。ただし鋭い愛好家なら、全ての証拠は提示された、という告知のところで、真相にたどり着いているかもしれない。

(ストーリー要約以外は全文を翻訳、訳せなかったchorus-likeは親子仲が良すぎて、子唱親随みたいな感じ?)


似た動機が使われてたという「ちょっと前の」another theatrical mysteryが気になる…


って、これ、若き作者(たち)が感激した、と『最後の一撃』(1958) 第二部の冒頭に(一部略で)引用してる『ローマ帽子』評じゃないか!(青田訳を確認してから試訳を公表するつもりだったが、文庫本がどこかに埋れてて… 重大な誤りがあったらコソッと直そう…)


EQは、戦後、すっかり忘れられていたハメットのブラック・マスク誌掲載短篇をコツコツ発掘してEQMMに掲載していた。それまで短篇集など全く出版されていなかったのだ。

そしてファンが作者に会う、という目線の序文をつけて(創元の『ハメット短篇集』に訳載)ハメットを非常に賞賛している。(その割に文章をいじっているが… 詳細は上記Don Herronのブログを見て見て!)


EQは匿名の評者がハメットだったことを知っていたのか?(知ってたならハメットの名を大いばりで書き込んだに違いない、と思う。後日、知ったらしい形跡も無さそう…


でもEQはこれを知ったら喜んだろうなあ!

 

 

なぜ英米でミステリが著しい発展を遂げたのか?


フチガミ先生が、マーティン・エドワーズのミステリ史研究の大著 The Life of Crime を国書刊行会から今年刊行の予定、とのこと。

"エドワーズ氏の研究書としては、我が国では『黄金時代の探偵小説』が紹介されて評判となりましたが、The Life of Crime は、ミステリの黎明期から今日に至るまでのミステリ史の発展を、英語圏やフランス、ドイツ、スカンジナヴィアなどのヨーロッパ大陸はもとより、アジアや南米など、より幅広い国際的視野にまで広げて描き出した大著です。"(Webサイト海外クラシック・ミステリ探訪記」より)

 

私はずっと、なぜ英米がミステリというジャンルで際立ってトップランナーになったのか?という疑問があったのです。

 

ヴィドックガボリオの時代なら、間違いなくトップランナーはフランスだった… でもあっという間にシャーロックが追い越し、追い抜き、ミステリの黄金時代、という活況に至るまでには、ほぼ英米の独占状態でした。

 

The Life of Crimeは未見ですが、エドワーズ氏がどんな仮説を立ててるのか、とっても気になるところです。

エドワーズ氏が既に正解を言い当ててるかもですが、このタイミングで私の仮説(妄説ともいう)を披露しておきましょう!

 

まあ直感的には、英米が民主主義的であって、ジャーナリズムの発展により、世界に先駆けて、西洋社会のなかでも先進的に、誰もが殺人事件の情報を得ることが出来、推理に参加することが出来たから、という回答が出てくるでしょう。フランスやドイツでは中央集権的な制度で、権力側の情報統制が強い印象がありますよね!

まあこれで正解なのですが、私が最近注目しているのは、日本ではほぼ誰も興味がないらしい英米圏特有の制度、インクエスト(検死審問)なのです!

 

ミステリでも、殺人事件後に、ごく軽く触れられる程度なのですが、不審な死の場合、その死因を証言や証拠をもとに数日審理を行い、陪審員が評決を出します。裁判とは独立していて、もし犯人が名指しされても(大抵は「未知の犯人による殺人」という評決でお馴染み…かな?)有罪・無罪を決める裁判は別途行われます。インクエストでは反対尋問を行わないため、裁判制度上の証言としての価値は認められないのです。(じゃあ何で延々とこの制度が続いてるの?という疑問はここでは触れません)

 

犯人を特定出来なければしなくても良いんですが、自殺なのか、事故死なのか、殺人なのかを決めなければなりません。しかも素人が。

 

まあその詳細はいずれWebサイト『ミステリの祭典』に書きますので、そちらを参照いただきたいのですが、ここはミステリの発展との関係でした。

 

つまり、どう死んだか?を状況の証言から詰めていくプロセスなのです。

 

殺人なら、凶器は何か?いつ殺されたか?その傷は死に至った原因か?などを検死官が質問によって明らかにしていきます。

このプロセスってまさにミステリそのもの。裁判だと容疑者が固まってるので、犯人探しの興味がちょっと薄いですよね。

そして、審理の結果を決めるのは、地域の市民の代表である陪審員たちなんです!

それゆえに、インクエストは自由に傍聴でき、その記録は新聞に掲載されます。異常な事件であれば大々的に報道されるのです。公開しない、という選択は、英国では、ごく直近のテロ関連で極秘を要する事件ならまあ仕方ないか、と国会で決まるまでは全面公開を頑なに貫いていました。

 

このような制度が人々のミステリ脳を活性化したのは間違いありません!

 

日本では政治上の事件で重要人物の変死が結構ありますが、死の詳細に怪しいものがある場合でも、そこを追求するプロセスがありません。英国では権力を監視する意味でも変死に対する市民のチェック機能が確立して来たのでしょう。これこそ、民主主義の基本のひとつかも、と考える次第です。

S・フチガミの読書備

事実は驚愕すべきものだった!

届きました!

早速コピーライトを!

えっ?この書き出し、中篇版じゃん!

まだ全部チェックしてないけど、ここら辺、中篇版ともかなり違う!

つまりバークリーは発表にあたって中篇原稿を直してる!

コピーライトが本人、という事は、アンソロジー書き下ろしなのか!

 

話が見えない方はこちらを見てね!冷静では全然いられません!

danjuurock.hateblo.jp

 

※ オウムガイが可愛いよね🩷

 

オモチャがある生活

増えてくるとディスプレイが大変…

 

ホコリも結構すぐ溜まるんよ…

 

あっ、ノートパソコンのディスプレイと掛け言葉になってるよ… フィアット500のウインドスクリーンのあたりからロッテンマイヤーさん?の頭髪にかけて横切ってる銀色の線が、MacBookのディスプレイの上端。シェルビーコブラの下側に見えるのがMacBookのキーボードなので、ノートパソコンがほぼ使えないのです…

弾十六 訳 リチャード・コネル作「閃光」part 1

A Flash of Light by Richard Connell 

 

初出: Redbook Magazine June 1931(挿絵Rico Tomaso)

 

Black night was pressing down on the hard gray sand.(1)

夜の黒が、砂の灰色を押し固めていた。

The surf smashed and hissed on the beach.(2)

波が浜辺で砕け、ざわめいた。

Like advancing artillery pushing relentlessly across the dunes, the angry bass rumble of the oncoming storm could be heard.(3)

前進する戦車が無慈悲に砂丘を蹂躙するときのような、重い怒りの響きが感じられるようだ。嵐が近づきつつあった。

Jagged daggers of lightning plunged into the dark breast of the surging sea, and were followed by the grim applause of the thunder.(4)

稲妻のギザギザの刃がうねる海の奥深くまで何度も突き刺さり、続いて苦い拍手のような雷鳴が響きわたる。

In the great, gaunt house on the cliff, a man and woman stood by the living-room window, watching the crazy play of the lightning, and after each flash, counting off the seconds until the clap of thunder came, that they might judge how near the storm had drawn.(5)

崖の上の大きく陰鬱な屋敷。なかでは男と女が居間の窓辺に立ち、稲妻の狂乱の一幕を眺めていた。光るたびに雷鳴が届くまでの秒数を測り、嵐がどこまで来ているかを確かめているようだ。

"I'm frightened." said the woman. She had almost to scream the words to be heard, so great was the crashing din outside.(6)

「怖い」女が言った。外の騒音がひどいので、負けない大声を出そうとして金切り声になる。

"Why, Gerda?"(7)

「なぜ?ゲルダ

"It's an evil night. I wish Roger would get here."(8)

「イヤな夜。ロジャー、早く帰ってきて」

The man glanced at the clock.(9)

男は時計を見た。

"He'll be here soon. Perhaps in ten minutes," he said. "You know Roger—-regular as that clock."(10)

「すぐに着くさ。十分ぐらいか。ロジャーはあの時計みたいに律儀で正確だよ」

"But the storm may overtake him," she said.(11)

「嵐につかまるかも」

"I think not. It seems to be passing around."(12)

「そうかな。ここら辺を避けて行くようだよ」

They turned from the window and walked to the far end of the long, somber room.(13)

二人は窓を離れ、奥に長い陰気な部屋の反対側に向かった。

The wind tore at the roof of the old house, snarling.(14)

風が古屋敷の屋根で裂け、唸りをあげた。

The windows rattled.(15)

窓がガタガタと揺れた。

Thunder, far off, muttered. They gave up trying to make themselves heard.(16)

雷鳴が遠くでゴロゴロと響いた。二人は大声での会話を諦めた。

A flash of light, unusually brilliant, made them turn toward the window again.(17)

閃光。異常に明るかったので、二人は再び窓に向かった。

"That hit on the beach," Andrew Moor shouted above the noise.(18)

「浜に落ちた」アンドリュー・ムーアは周りの音に負けぬよう大声。

"About a mile away, I'd say. Wait. We'll hear the thunder soon. One, two, three, four, five, six, seven -- well, that's rather odd. Where's the thunder?"(19)

「いちマイルくらいかな。待って。すぐ雷鳴が聞こえるはず。イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、ナナあれ、変だぞ。雷鳴はどうなった?」

"I heard a sound." Gerda Moor said. "A hissing and a cry."(20)

「わたしには何か聞こえた」とゲルダ・ムーア。「シューって。それと叫び」

"This night is full of weird sounds." said Moor. "The cry must be that of some lost night-bird. But you know, Gerda, it is odd about the thunder."(21)

「今夜は変な音ばかりだ。叫びって迷い夜鳥かなんかだろうさ。でもゲルダ、雷鳴の件は変だよ」

"There! Hear it now."(22)

「ほら!今聞こえた」

"Yes. But that's far away across the bay. That flash should have been accompanied by a sharp crack."(23)

「うん。でもこれは湾のずっと向こうのだよ。さっきの閃光なら大音量のバリバリのはず」

"I do wish Roger would get here," said Gerda Moor. "He shouldn't walk that lonely two miles across the dunes. Yet he always does."(24)

「本当にロジャーが帰ってきて欲しい。砂丘2マイルもひとりぼっちで歩くなんて無茶よ。でもいつもそうしてる」

"Why, it's safer than a city street," said Andrew Moor reassuringly. "No one ever goes that way but Roger. He phoned from the station, didn't he?"(25)

「街の通りより安全じゃないか」アンドリュー・ムーアが保証する。「ロジャーのほか、あの道を行く奴なんかいない。駅から電話があっただろう?」

"Yes. He got in on the seven-twenty-seven train, as he always does. It takes him about half an hour to walk across the sand. His own path, he calls it. He's proud that he can gauge the time it takes for him to walk here -- never less than twenty-nine minutes, never more than thirty."(26)

「ええ。720分の列車で、いつもどおりにね。砂浜を渡るのに三十分。あの人が「我が道」と呼んでる通路で。ここまで歩いて来る時間を常に一定に出来るんだ、って自慢してる。きっかり29分から30分の間だって」

"Oh, he'll get here, all right," said Andrew. "Stop worrying, Gerda. Worry is the most futile thing in the world."(27)

「うん、すぐに帰ってくるよ。大丈夫」とアンドリュー。「心配無用、ゲルダ。心配するなんて世界一ムダなことさ」

"I know. But I do worry. Roger hasn't been himself lately."(28)

「知ってる。でも心配なの。最近、ロジャーの様子がおかしかった」

Andrew Moor looked keenly at his sister-in-law.(29)

アンドリュー・ムーアは義姉に鋭い視線を向けた。

"You've noticed that?" he said.(30)

「気づいてたの?」

"It has seemed," Gerda Moor said, "almost as if Roger were afraid of something."(31)

「まるでロジャーは」ゲルダ・ムーアは言った。「何かを怖がってるみたいだった」

"Nonsense," said the man. "Roger afraid? What has an honest, healthy banker like my brother to fear?"(32)

「馬鹿馬鹿しい。ロジャーが怖がる?誠実で健全な銀行家である兄貴が何を恐れる?」

"I don't know. But Andrew, there is something. And I feel you know what it is."(33)

「わからない。でもアンドリュー、何かある。あなたは知ってるんでしょう?」

"Oh, come, Gerda, this eerie house is making you imagine things. Roger is as solid as this cliff. Now, don't be in a state of nerves when he gets here for his birthday dinner."(34)

「おいおい、ゲルダ、この不気味な屋敷のせいで空想的になってるよ。ロジャーは下の崖と同じくらい堅牢だ。さあ、そんな気分は忘れて、兄貴が着いたらヤツの誕生日の晩餐なんだから」

"I think I'll call Uncle Matthew." Gerda said.(35)

「マシュー伯父さんを呼ばなきゃ」ゲルダが言った。

"How is the old dodo?" asked Andrew.(36)

ドードー爺は元気なの?」

"Oh, puttering around as cheerfully as ever."(37)

「いつもどおりぶらぶらと、毎日楽しそうにしてる」

She pulled a bell-cord.(38)

彼女は呼鈴の紐を引いた。

"Clements," she said to the butler who appeared, "please go to Mr. Kelton's room and tell him dinner will be served soon. And Clements, serve the cocktails in here just as soon as Mr. Moor arrives. He'll be here in a few minutes now."(39)

「クレメンツ」あらわれた執事に命じた。「ミスター・ケルトンの部屋に行って、晩餐はすぐです、と伝えて。それからクレメンツ、ミスター・ムーアが帰って来たらすぐ、カクテルを出してね。数分で到着するはず」

"Yes, madam " the butler said, and glided away.(40)

「はい奥様」執事は静かに出ていった。

Andrew Moor stood staring at the clock. The storm had swerved away from the house on the cliff, and they could see and hear the lightning and thunder far across the dunes, like cannon on a distant front. No rain had fallen near the house.(41)

アンドリュー・ムーアは立って時計をじっと見つめていた。嵐は崖の上の屋敷をそれていったようで、見える稲妻と聞こえる雷鳴は、はるかな最前線の大砲のように遠かった。屋敷付近で雨はまだ降っていなかった。

"A wicked night," said a high treble voice. Matthew Kelton, small and fragile-looking, with white hair billowing back from a wizened face, was standing in the doorway, patting his old-fashioned evening tie.(42)

「薄気味悪い夜だなあ」かん高い声がした。マシュー・ケルトン、小柄で華奢な姿、白髪は後ろに豊かに流れ、顔にはしわが多い。出入口に立って、古臭いイヴニング・タイをちょっと直していた。

"The gods are angry tonight."(43)

「今夜は神がお怒りだ」

"Roger isn't home yet," said Gerda Moor.(44)

「ロジャーがまだ戻らないの」ゲルダ・ムーアが言った。

"Regular Roger not home? Dear me, this is a curious night." said Matthew Kelton.(45)

「律儀なロジャーが戻らない?おやおや、珍しい夜だなあ」マシュー・ケルトンが言った。

"I'm worried, Uncle Matthew."(46)

「わたし、心配なんです。マシュー伯父さん」

"My dear child." said Matthew Kelton, patting her hand, "I see no cause for alarm."(47)

「まあまあ」マシュー・ケルトンは彼女の手を撫でた。「たいして心配しなくても良いと思うよ」

He looked at Andrew Moor, standing at the window again, and saw that his face was white and tense.(48)

また窓辺に立っていたアンドリュー・ムーアを見ると、顔が白く、緊張している。

"If you're really worried, Gerda," said Matthew Kelton quietly. "we'll do the obvious thing -- go search for Roger. Just sit down at the piano and soothe yourself with some Chopin, and we'll be back with Roger in a few minutes. Come along, Andrew. And bring a flashlight."(49)

ゲルダ、お前がどうしても心配だ、と言うなら」静かにマシュー・ケルトンは言った。「やるべき事は明らかだ。ロジャーを迎えに行こう。お前はただピアノに向かって、ショパンなどで心を鎮めておれば良い。そしたら我々はロジャーと一緒に数分で戻る。さあ来い、アンドリュー。懐中電灯を頼む」

When the door had closed on the two men. Matthew Kelton said.(50)

男二人の後ろでドアが閉まると、マシュー・ケルトンは言った。

"Andrew, you're worried too. Deeply worried."(51)

「アンドリュー、君も心配している。普通以上に」

"Yes."(52)

「ええ」

"Why?"(53)

「何故かな?」

"Oh, it isn't like Roger--being late."(54)

「やっぱりロジャーらしくないです遅れるなんて」

"There's something more."(55)

「他にもあるのでは」

"No. Nothing tangible. It must be the night. My nerves are jumpy. Here we are -- on Roger's path. It leads straight away from the house across the sand --"(56)

「いえ、何も具体的なのは。きっと夜のせいです。神経が過敏になってさあ、ここからがロジャーの道。屋敷から真っ直ぐ、砂浜を越えて

In silence the men trudged along the path. The night was calmer now. They had walked for nearly a mile when Andrew Moor cried out.(57)

沈黙の中、男たちはゆっくり道を進んだ。夜は穏やかになりつつある。一マイルほど進んだ時、アンドリュー・ムーアが叫んだ。

"Great God! What's that?"(58)

「何てことだ!あれは?」

The strong beam of their flashlight had picked up a dark object, a figure, lying across their path.(59)

懐中電灯の強い光輪が黒い形をとらえた。人だ。倒れて道を塞いでいる。

"Stand still," jerked out Matthew Kelton. "You hold the torch. Steady. I'll go closer."(60)

「そのまま動かないで」すかさずマシュー・ケルトンが言った。「トーチを当てていてくれ。揺らさないで。私が近くに行く」

Walking on the toes of his patent-leather evening slippers, Matthew Kelton approached the figure.(61)

エナメルの夜会靴を履いていたマシュー・ケルトンは、つま先立ちで人型に近づいた。

"Andrew." he called back in a choking voice, "it's Roger. He's dead. Horribly dead. Wait. Stay where you are. You'll make footprints."(62)

「アンドリュー」ふりかえって押し殺した声で言う。「ロジャーだ。死んでる。ひどい状態だ。そのままそこに居なさい。足跡がつくといけない」

Kelton bent over the body that had been Roger Moor.(63)

マシュー・ケルトンは死体の上から覗き込んだ。かつてはロジャー・ムーアだった身体。

"His head has been crushed by a frightful blow," he said. "He was killed instantly. I'd say, and but a few minutes ago."(64)

「ものすごい打撃で頭を砕かれている。即死だ。せいぜい数分前か」

"It was that flash -- the lightning," cried Andrew Moor hysterically. "It must have hit about here."(65)

「あの閃光だ稲妻の」アンドリュー・ムーアは興奮して大声を出した。「ここら辺に落ちたはず」

"Yes," said Matthew Kelton slowly. "That must have been it. The lightning. No gun could have made that great wound. It might have been made by a heavy club -- but there is no weapon here, no footprints--"(66)

「うむ」マシュー・ケルトンはゆっくり言った。「そうかもしれない。稲妻か。銃ではこんな大きな傷にはならん。重い棍棒でやられたように見えるが近くにそんな物は無い。足跡も無い」

"Poor, poor Roger!" said Andrew Moor. He was sobbing.(67)

「かわいそうに、ああロジャー!」アンドリュー・ムーアは泣きじゃくっていた。

"I'm thinking of Gerda--now," said Kelton. "You'd better go to her, Andrew. I'll wait here -- with him -- till the coroner comes."(68)

ゲルダのことを考えないとなさあ、アンドリュー。お前は彼女のところに戻るのだ。私はここに残る彼のそばに  検死官が到着するまで」

Andrew Moor went back to the house on the cliff, and as he mounted the steps, the music of a Chopin nocturne came to his ears.(69)

アンドリュー・ムーアは崖の上の屋敷に戻った。階段を昇っているとショパンノクターンが耳に入ってくる。

Matthew Kelton, flashlight in hand, bent again over the body.(70)

マシュー・ケルトンは、懐中電灯を手に、再び、死体の上から覗き込んでいた。

 

... Presently he heard the muttering of voices as a party of men drew near, the coroner, the doctor, the chief of police from the village across the dunes, and Andrew Moor.(71)

やがて、遠くで男たちが話す声がだんだん近づいてきた。砂丘の向こうの村から、検死官、医者、警察署長、そしてアンドリュー・ムーア。

"Stop." ordered Matthew Kelton sharply. "Don't come near for a moment. I want the space about the body free of footprints."(72)

「止まって」マシュー・ケルトンは鋭く命じた。「今は近くに来ないでくれ。死体の周りに足跡をつけたくない」

"Evening, Mr. Kelton," said the Doctor. "Why bother about footprints? Lightning doesn't leave any."(73)

「とんだことになったね、ミスター・ケルトン」医者が言った。「何故、足跡を気にする?稲妻に足は無いよ」

"Wait." said Matthew Kelton. "I'm not at all sure it was lightning."(74)

「そこで待っててくれ」マシュー・ケルトンが言った。「稲妻とは思えないのだ」

"Oh, come, Mr. Kelton," said the Doctor, "what else could it be?"(75)

「おいおい、ミスター・ケルトン」と医者。「それ以外にどんな原因が?」

"I don't know." replied Kelton, "Something diabolic. Come here. Doctor. Walk on your tiptoes."(76)

「わからん」ケルトンが答える。「魔物のわざかも。こっちに来たまえ、先生。爪先立ちで頼む」

The Doctor obeyed.(77)

医者はその通りにした。

"Lightning burns." said Matthew Kelton. "There is no trace of burning here. Absolutely none."(78)

「稲妻なら焦げる」とマシュー・ケルトン。「ここに焦げた跡は無い。全然無い」

"That's a fact." agreed the Doctor. "Most unusual."(79)

「本当だ」医者は認めた。「おかしいな」

“And look here," said Kelton, pointing, "at those streaks of silver in the hair. Roger Moor was a vigorous young man with coal-black hair, with no white hairs whatsoever. That's paint, Doctor -- silver paint."(80)

「ここを見てくれ」ケルトンが指さす。「銀色の筋がいくつか髪についている。ロジャー・ムーアは健康な若者で頭髪は真っ黒だった。白髪なんて全然なかった。これは塗料だよ、先生。銀色の塗料だ」

"Yes." said the Doctor. "You're right. What can it mean?"(81)

「うむ」医者が言った。「その通りだ。それでどういう事になる?」

"There is only one thing it can mean. I'm afraid," said Matthew Kelton, very gravely, "and that is that Roger Moor was murdered, foully murdered."(82)

「一つだけハッキリしている。残念ながら」マシュー・ケルトンの声はとても陰鬱だった。「ロジャー・ムーアは殺されたのだ。残虐に」

"It's clear what happened." said the chief of police. "Mr. Moor was coming home across the sands as he had done every night at this time for years. Somebody laid for him. Some yeggs, maybe, or one of those hard guys from the rum-runners. He was rich, and carried a lot of money, they figured. They hit him with a piece of pipe or iron painted silver. We'll get the motorcycle squad out on the roads after 'em right away. They can't have gone far --"(83)

「何が起きたのか、よくわかるよ」警察署長は言った。「ミスター・ムーアは砂浜を越えて家に帰るのだが、この数年間、いつも夜のこの時間だった。何者かが待ち伏せしていた。強盗たちか、酒密売の乱暴ものなんかだろう。彼は裕福だからお金をたくさん持ち歩いている、と見込まれたんだ。奴らは銀色に塗ったパイプか鉄塊でぶん殴った。バイク部隊をすぐ差し向け、追跡させよう。まだ遠くに行ってないはず

"Not so fast, please," said Matthew Kelton. "First, Mr. Moor has not been robbed. His watch, wallet and brief-case are all intact. Second, there are no footprints near this body. This sand would catch and hold the lightest step. But you will find only the imprints of the dead man as he walked toward his house, and the imprints of Mr. Moor and myself when we walked out from the house to find him, and the imprints that you three men have just made."(84)

「慌てないでくれ」マシュー・ケルトンは言った。「第一にミスター・ムーアは何も奪われていない。時計、財布、ブリーフケースは全部手つかずだ。第二に死体近くに足跡が全く無い。この砂なら、ごく軽く足を踏んでも跡が残るはずだ。だが残っているのは、死者が屋敷に向かっていた足跡、ミスター・ムーアと私が屋敷から彼を探しに来た時の足跡、そして今君ら三人がつけた足跡、それだけだ」

"Well, that does complicate things up some," admitted the policeman. "Since it wasn't the lightning, and since I don't believe in unnatural devils, it must have been somebody -- Wait —I got it! Somebody who wanted to put Mr. Moor out of the way waited in the darkness for him to pass, and from a distance threw or shot a heavy stone or lump of metal at him—"(85)

「はあ、ちょっと困ったことになるな」署長は認めた。「雷でもないし、魔物がやったなんて馬鹿げている、もちろん誰かがやったんだ待てよそうか! 殺意を持った何者かが、ミスター・ムーアが通るのを暗闇のなか待っていた。そして遠くから彼に向かって重い岩とか金属塊とかを投げつけ

"In which case," said Matthew Kelton, "the missile would be lying near the body. I found no missile -- not even a pebble. Only fine sand."(86)

「どちらの場合でも」マシュー・ケルトンは言った。「飛んできたものが死体の近くにあるはず。重たい物体は見つけられなかった小石すらも。細かい砂ばかりだ」

"Yes, there's a hole in that theory, all right," said the chief of police. "But suppose they potted him from the cliff, or -- here's an idea -- from a boat out on the water -- and a cord tied to the missle, the way harpooners do, and after it struck, hauled it back --"(87)

「まあ理論上の穴は認めるよ」警察署長は言った。「だが奴らが崖から投げつけるとか、そうだな海上の船からでもいい投げつける物に銛打ちがやるように紐を縛りつけておき、当たった後で引っ張り戻せば

"Not possible," said Matthew Kelton. "Remember, this sand records the slightest impression. A mouse crossing it would leave tracks. I have examined the area around the body for yards, and here is no trace of any missile having been dragged away. Besides, Chief, it is a good six hundred yards to the cliff, and at least three hundred to the water. It would take a rare marksman to hit a moving figure at that distance -- and on a pitch-black night."(88)

「不可能だ」マシュー・ケルトンは言った。「前にも言ったが、この砂は最小の圧迫でも跡が付く。ネズミの小走りでさえ軌道が残るだろう。死体の周り数ヤードを調べたが、飛翔物が引きずられたような跡は全く無かった。それに署長、崖まで六百ヤードは優にある。海までは最低でも三百くらいか。動く人影をこの距離で仕留められるのは余程の名射手だけだよあたりは真っ暗闇なんだし」

"A heavy-caliber gun--an elephant gun, for example, could mess up a man's skull like that. What do you think, Doctor Somers?" said the chief.(89)

「とても大口径の銃象撃ち用とかなら人間の頭蓋骨をこんな風に潰せるのでは。どう思います?ソマーズ先生」署長が聞いた。

"No gun of any description did this job," declared the Doctor positively. "It was a blow with a large object, delivered with terrific force."(90)

「どんな性能の銃でも無理だ」医者は断言した。「これは大きな物体がものすごい力でぶつかった衝撃によるものだよ」

"It beats me, then," said the chief. "It would be easy, if I could believe in devils--"(91)

「じゃあ降参だ」と署長。「魔物の存在を認めちまえば、話は簡単なんだが

"There are all sorts of devils," said Matthew Kelton.(92)

「この世にはいろんな魔物が存在するさ」とマシュー・ケルトン。

"Have you any theory how it was done, or who did it, Mr. Kelton?" the coroner asked.(93)

「どうやったのか、誰がやったのか、仮説をお持ちでは?ミスター・ケルトン」検死官が尋ねた。

"No." said Matthew Kelton. "I know only the facts I have related to you. Roger Moor is dead, murdered. It is my earnest prayer that I can find out how, and why, and who did it. Now, I want you to do something for me. Mr. Coroner. I want you not to move the body, but to leave it lying here, exactly as it was found, until morning. By the first light of the new day we may find things which our flashlights have not found tonight."(94)

「いや」マシュー・ケルトンは言った。「わかってるのは君らに話した事実だけだ。ロジャー・ムーアは死んだ、殺されたのだ。その方法、動機、犯人、ぜひ突き止めたいと真剣に願っている。さて、ちょっとわがままを聞いてくれ、検死官どの。私は死体を動かしたくない。ここで見つけたときの状態で横たえたまま、朝まで置いて欲しい。明日朝一番の陽の光なら、懐中電灯では見つからなかったものが見つかるかもしれない」

"There's sound sense in that, Mr. Kelton." said the coroner.(95)

「道理にかなってますな、ミスター・ケルトン」検死官は言った。

"Let's go to the house," said Matthew Kelton. "and wait for dawn."(96)

「屋敷へ行って」マシュー・ケルトンは言った。「夜明けを待とう」

Through the night the men talked and dozed in the house on the cliff. When the first faint rays of the rising sun came across the dunes, they went to where the body of Roger Moor was lying. Matthew Kelton made another careful examination in the better light.(97)

崖の上の屋敷で、夜のあいだじゅう、男たちは話したり、うとうとしたりした。昇る太陽から朝一番の弱い光が砂丘を越えて届くと、ロジャー・ムーアの死体が横たわっているところに向かった。マシュー・ケルトンはうす明かりのなかで、あらためて注意深く探索した。

"I find nothing." he announced, "which changes the facts we arrived at last night. See -- the firm sand spreads in every direction from the body, and there is no mark on it of any kind for hundreds of yards. The footprints we made ourselves are easily identified."(98)

「何も見つからなかった」皆に伝えた。「昨夜わかった事実を覆すものは何も。漏れなく砂だけが死体の周りをいちめんに取り囲んでいる。何かの痕跡もここら辺数百ヤードには残っていない。我々がつけた足跡だけが際立っている」

"Lord, what a wild and impossible business!" exlaimed the chief of police. "It just can't be done. Yet there lies that poor gentleman to prove that it was done. I'm out of my depth, and I'm not ashamed to admit it."(99)

「神よ、荒唐無稽な不可能事だ!」警察署長は叫んだ。「起こり得ないはずだ。だがここに気の毒な紳士が横たわり、ことが起こったことを示している。我が能力を超えた深い沼だ。そう認めても全然恥ずかしく無い」

"We're all out of our depth." said Matthew Kelton. "But there is an answer. There must be an answer." (100)

「我々皆の能力を超えているよ」マシュー・ケルトンは言った。「だが答えはある。必ずあるはずだ」

"Find it, then," said the chief of police.(101)

「なら見つけてくれよ」警察署長は言った。

"I'm going to try," said Matthew Kelton.(102)

「やるさ」マシュー・ケルトンは言った。

"How?"(103)

「どうやる?」

"By seeking," asserted Matthew Kelton,"for the unobvious obvious."(104)

「まずは探そう」マシュー・ケルトンは断固として言った。「明らかでないことが明らかなものを」

"Shall I take charge of the body now?" asked the coroner.(105)

「もう遺体を引き取って良いかな?」検死官が言った。

"Yes," said Kelton. "The body! And yesterday when I said good-by to him as he started on his walk to the station, he was a man--young, fine, useful--"(106)

「うむ」とケルトン。「遺体か!つい昨日、バイバイと言って別れた時、彼は駅に向かって歩きだしたところだったが、実に立派な男ぶりだった若くて、爽やかで、有能で

 

【Part 2に続く】

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Rico Tomaso(1898-1985)のイラスト、まだ著作権保護期間中でした!良い絵なんだけど、削除します!