十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

バイブルならこれを推します

 

 

え?このお題(あなたにとってのバイブル本)って、数あるバイブル関連書の中で最も感銘を受けたバイブルって意味じゃない?(当時のシミルボンのお題「あなたの人生に一番大切な本」に投稿したのです)


いやでも、悩んだ時とか、心を落ち着かせたい時とか、すさんだ気持ちになった時とか、これ(もちろんマルコのほう)を読んでほっこりしてるよ
だから合ってる。


訳者は(多分)異端の聖書学者。
日本のオフィシャルな翻訳や最近のドグマに毒された欧米の聖書学界を、存分に切りまくる。(いい加減にしろ、あきれた、もう相手にしない、詐欺だ、などなど) このいささか強い調子の悪口(もちろん正当なものなのだが)で周りは引いちゃうけど、私みたいなファンは癖になってしまって期待しちゃうでも悪口部分をさらりと流したらもっと良くなると正直思ったり


さてマルコだ。
素直な素朴な古代人(2000年ほど前の話だよ)に会える翻訳。たった二十年前のことだって、補足説明しないと判らなくなってることは多い(ぱっつんぱっつんのボディコン・ミニスカの女の子たちが舞台にぎゅう詰になって扇子を振って踊ってる、ってもうシュールな絵だ。「ジュリアナ東京のお立ち台」でこのイメージが浮かぶのは最早限られた人だろう)。じゃあその経過時間をさらに百倍したら?
それが本文120ページ、注釈と解説730ページという結果だ(注解は本文より小さい文字で行間もつめてるから語数で比較すれば倍率はもっと高い)。これでもまだまだ判らないことばかり、と訳者は正直に言う。
日本語のオフィシャル聖書は、英訳から重訳してるくせに、さもギリシャ(そう新約聖書のオリジナルはギリシャ語だ)から訳してる風を装ってるのがバレバレだったり、ドグマに都合が悪い文章は勝手に意味をねじ曲げたり、とやりたい放題。でも、そーゆーホコリと汚れを取り去れば、優れた男に出会ってしまった衝撃と感動が伝わってくる誠実な文章。伝えたい、という止むに止まれぬ気持ちが2000年の時を超えるのだ。
マルコがたまたま最初に書いたイエス伝が広まったから、当時の教会指導者に都合の悪い部分(エスが捕まった時に知らんぷりしちゃったとかのカッコ悪い場面)が残ってしまった。マタイはマルコを書き換えようと図ったが、結局マルコは消せなかった。読み比べれば、マルコには自由の風が吹いており清々しい。マタイは窮屈だ。
そしてイエスという男の片鱗が伝わる。決して神ではない、世の理不尽に怒るちょっぴり賢い男。世間が下賤とみなした人々とも平気で付き合う心優しい男。ユダヤ教の偽善には実力行使も辞さないちょっと乱暴な男。現行聖書のマルコ最終尾に置かれている復活物語は後年の付加だという。真のマルコはほとんど「奇跡」に触れていないことになる。(まじない医者っぽい行動がほとんど。パンを増やしたのは超常現象だが…)


大切な言葉が時を超えて届く、これが本当の奇跡だよね(←上手いこと言った!)

2020.07.25(シミルボン公開)