十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

国がWEBページで換算出来るのを作って欲しい

 

19871月。日外アソシエーツ刊。
グレゴリオ暦によって西暦が確定した1582(天正10)から日本が西暦を採用した1872(明治5)までの291年間の歴史は二重の日を持っており、様ざまな混乱、誤解のもととなっています。」(本書のアマゾン宣伝文句より)
この書籍は、上記期間における和暦と西暦の対照表で、年数(ページ表記は西暦年だが日付は和暦の元日から大晦日までの1年を1ページに表示)元号、日付数字と西洋の曜日がひたすら書かれている無味乾燥さ極まる資料。
例えば元禄十五年十二月十四日は、ペラペラペラええっと、元禄十五年は大体1702年だからペラペラペラああ1703年になっちゃうのねグレゴリオ暦では1703130日火曜日、というのが割と簡単に照合出来る便利さである(ただし和暦を「旧」、西暦を「新」と表示しているのはいただけないし、日の干支が記載されてないのも不便)
だけどコンピュータ全盛時代の現代になんでこの程度の換算が可能なWEBページが用意されてないのか、全く不思議。日本の国会図書館あたりが公式にやれば良い。(暦の所管は気象庁かな?) ここら辺の文化行政デジタル化のレベルの低さはと言いたくなる。
と思ってたら私家版のWebサイト「和暦、グレゴリオ暦ユリウス暦ユリウス日などの相互変換を行うWEBツール 【換暦】」(2004-1-23から公開しているようだ)があった。ユリウス暦(上記の例だと1703119)ユリウス日も一発でわかる優れもの。変換範囲は紀元前4713年から紀元後2099年まで!極めて素晴らしい!の一言。でも国家プロジェクトとして公的にやって欲しい。歴史理解の基礎資料だよねえ。


ところで、一番最初に引用した本書の宣伝文句には突っ込みどころが多数。
まず「グレゴリオ暦によって西暦が確定した」というのが変。ユリウス暦(紀元前45)の昔から西暦は置閏法が若干違うだけで、現行の形とほとんど同一に定まっており、それを言うなら「暦が現在の形に最終的に確定したのが」というのが正しい。(←マニアは嫌だねえ)
グレゴリオ暦は公式には15821015日が初日だが、これはあくまで当時カトリックが支配的だった国のみ。バッハがヨハネ受難曲(1724)を演奏した当時使ってた暦はプロテスタントの理屈に合わせて作られたルドルフ星表採用の改良暦だったようだ(実質はグレゴリオ暦の暦日だが復活祭の計算方法がユリウス暦ともグレゴリオ暦とも異なるもの。プロテスタント諸邦はカトリックの暦を採用したなどと言いたくなかった、ということだ)。英国(米国13植民地を含む)での採用は1752914日でこの時11日が失われた。ロシア(ソ連)1923年に採用した暦は改良ユリウス暦2800228日以降はグレゴリオ暦とズレてしまう(こちらもギリシア正教の伝統を重視したのだろう)。したがって幕末のプチャーチンなどが使ってた暦はユリウス暦の筈だ。(オランダのカトリック諸邦は1583年にグレゴリオ暦を採用している。同国での新旧キリスト教の争いは一筋縄ではいかないものらしいので、日本にやって来たオランダ東インド会社の暦はどうだったのか。通常のグレゴリオ暦だったような気もするが、良く知りません…)
続く「日本が西暦を採用した1872年」というのもおかしい。何故なら「西暦」は改暦法令には全く出てこないからだ。


明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)に書かれているのは

今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成候ニ付来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事一ケ年三百六十五日十二ケ月ニ分チ四年毎ニ一日ノ閏ヲ置候事(各月の日数はこのあと箇条書きで定義)

であり、
明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件)で

神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス
但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス

として「神武天皇即位紀元年数」により閏年を定義している。
そして上記2つは今でも現行法令として効力を保っている。つまりあくまでベースは太陽暦神武天皇即位紀元であり、月の数や月の日数や置閏法がグレゴリオ暦と同じなのはユリウス暦の伝統と科学的な正確性を重視した結果であるから、決してキリスト教の軍門に下った訳ではない。(暦の採用は支配・被支配を意味するので、ここら辺は慎重にならざるを得ない。明治のエリート官僚は十分に意識的だ)

 

さらに「二重の日」というのも、ざっくりしすぎている。三嶋暦、会津暦などの時々日付が異なる地方暦の存在を全く無視しているからだ。(江戸の天文方による暦に統一されたのは貞享二年(1685)という) せっかくのday by day対照表なのだから、異動のある代表的な地方暦について表示があっても良いのでは?(←これは言いがかり。そんなの誰も期待してないよね!)


私は歴史物の表記で「元禄15(1703)1214日」という書き方が嫌いで、二ヶ月前の元禄1510(吉良邸の図面入手)なら西暦では前年の1702年なのだから、誤解を招きやすい記述法だと思う。後ろの1214日も西暦の月日と思われちゃうのでは?と感じる。和暦なら平気で二月三十日が存在するので、知らない人は「はは、間違ってら!」と思われたり。(←考えすぎ)
和暦は漢数字、西暦はアラビア数字(これも誤解を招く表現だよね。アラビア文字の数字は別物だから)で記すようにして、例えば元禄十五年十二月十四日(1703-1-30)や、元禄十五年(1702)十月、のように記載するのが良いと思う。単年なら「元禄十五年(1702+)」が良いかなあ。月の半ばで西暦が変わる場合も同様に「元禄十五年(1702+)十一月」、じゃあ逆は「1702(およそ元禄十五年)」、いかがでしょう?(←メンドくさいよ!)

2020.07.23(シミルボン公開)