十六 × 二十

本について。時々他のネタも。心臓が悪いのでコメント不可です…

ムッシュ連載27(第1部第19章)

CHATELAUDREN. - Arrivée par la route de Guingamp, Quartier de Mississipi (Carte postale - Châtelaudren 1917)

 

XIX

「被告のお喋りは、審理をすぐ整える」と司法宮の古い格言は言う。 ≪19-1≫
※ Prévenu bavard, cause bien instruite 

実際、判事の監視下に置かれた罪人が、己の意図や考えを露わさず、あるいは守るつもりの秘密を少しも表面に出さず、饒舌に語り続けるのは不可能だろう。 ≪19-2≫

被告の中で最も愚鈍な者たちでさえ、このことを理解している。そのため、彼らは極度に神経を研ぎ澄ませ、総じて極めて口を重くする。 ≪19-3≫

亀が甲羅をあてにするように、彼らは自らの防護策に閉じこもって出てこない。もし出る場合でも、極めて慎重で用心深くなる。 ≪19-4≫

尋問には答える。そうせざるを得ない。だがそれは簡単で短い返事であり、詳細には語ろうとしない。 ≪19-5≫

しかし、この被告は饒舌だった。ああ!… 彼は「尻尾を出す」のを恐れていないようだった。真実の代わりに作り上げた物語を、一言で台無しにするのを恐れ、震える者たちとは違い、彼は躊躇しなかった。 ≪19-6≫

※ se couper

他の状況であれば、こうした態度は彼にとって有利に受け取ってもらえるはずだろう。 ≪19-7≫

「では、説明してもらいましょう!」とセグミュラ殿は被告がはっきり言わなかった要求に応じた。  ≪19-8≫

殺人犯は、自由な発言が許された喜びを隠そうとはしなかった。 ≪19-9≫

輝く目、膨らんだ鼻の穴。それは、ピアノの前に出るのを請われたロマンス歌手のような満足感を表していた。 ≪19-10≫
※ chanteur de romances: (以下、未確認のGemini訳註) サロンなどで甘く感傷的な歌(ロマンス)を歌う歌手のこと。

彼は、頭を反らせ堂々と構えた。弁舌と演出の効果を確信している雄弁家のように、唇を舌でなぞり湿らせると、こう切り出した。 ≪19-11≫

「という事は、俺の物語をお望みだね?」 ≪19-12≫

「そうです」 ≪19-13≫

「されば判事殿、四十五年前のとある晴れた日のこと。アクロバットに怪力、軟体芸を売り物にする一座の団長、トラングロ親父が、ガンガンからサン=ブリユに続く街道を旅していた。当然ながら、二台の大きな荷馬車には、妻と道具一式、それに座員たちを載せていた。よろしいか。さて、シャトロードランという大きな村を過ぎた直後、彼が左右に目をやると、溝の向こう側に、白くてモゾモゾと動くものを見つけたのだ。『何だ、ありゃ一体』と妻に言った。馬車を止め、降りて、溝に行き、その物を手にすると、叫び声をあげた。皆こう尋ねる。『一体、その男は何を見つけたのか』ああ、なんてことはない! 当時生まれて十か月ほどの、皆様のしもべ、つまりこの俺を見つけたのだ」 ≪19-14≫
※ Guingamp
※ Saint-Brieuc
※ Chatelaudren: 上の絵葉書参照。探してみるまで、架空地名だと思っていた。
※ Geminiが推算したこの場所の経度緯度: 48°32'27.6 N, 2°57'50.4"W (Google Map座標: 48.541, -2.964) (以下、未確認のGemini訳註) 現在の N12 号線、あるいはそれに並行する旧街道 D712 付近が、かつての「街道」に相当。
※ votre serviteur

最後の言葉で、周囲に仰々しく一礼した。 ≪19-15≫
※ salua à la ronde

「当然のことながら」と彼は話を続けた。「トラングロ親父は俺を女房に渡した。とても善良な女性だ。彼女は俺を抱き上げ、眺め、触ってこう言った。『この子は丈夫で、よく育っている。母親が薄情に捨てたのだから、うちで面倒をみてやりましょう。私が仕込めば、五、六年で立派になる』そこで、名前を考え始めた。五月の初めのことだったから、俺は『メ』と名付けられた。その日から、俺はメで、洗礼名は無い」 ≪19-16≫

彼は話を中断し、三人の聞き手に順番に視線を向けた。納得した、という反応を探っている感じだ。 ≪19-17≫

納得は来なかった。彼は続けた。 ≪19-18≫

「トラングロ親父は素朴な人で、法律に疎かった。思いがけなく見つけたものを当局に届けなかった。おかげで俺は、生きてはいたが、存在していなかった。役所の台帳に名前が載っていなければ、存在にならない。 ≪19-19≫
※ registre de mairie: (以下、未確認のGemini訳註) フランス戸籍制度は、教会の「教区簿冊」から、1792年に市役所の管轄となり、1804年ナポレオン法典で全国的な「戸籍制度(État civil)」が確立。1800年代初頭から、すべての出生、結婚、死亡は市役所の登録簿(registre de la mairie)への記載が義務化されている。

ガキの頃は、そんなこと、気にしてなかった。 ≪19-20≫

だがその後、十六歳を過ぎる頃、親父の無頓着を思い返し、内心では喜んでいた。 ≪19-21≫

自分自身に言った。『おい、メよ、お前は政府のどんな名簿にも載ってない。だから、徴兵抽選にもかからないし、兵隊にも行かなくていいんだ』 ≪19-22≫
※ tireras pas au sort(抽選を引かない: (以下、未確認のGemini訳註) 当時の徴兵制度は抽選制。若者たちが集まって「くじ」を引いた。大きな数字を引けば免除、小さな数字を引けば「当たり」で入隊。徴兵名簿は市役所の出生記録から作成された。

兵隊になる気はさらさらなかった。大砲の弾が来ても、登録するのは絶対嫌だった。 ≪19-23≫

※ pour un boulet de canon: (以下、Grokの解釈) ne pas faire qc pour un boulet de canon 絶対に(何々を)しないぞ!という表現あり。また、“ne pas donner sa place pour un boulet de canon どんな代償を払っても席(位置)を譲らない、という言い方もある。ここは兵隊の連想で「大砲の弾」が出て来たが、強い否定の意志が主だろう。

さらに時が経ち、徴兵年齢を過ぎた頃、もし今、戸籍を請求したら、厄介なことになるだろうと、ある法律家に言われた。それで、俺は密かに生き続けることにした。 ≪19-24≫

誰でもない、というのには、良い面も悪い面もある。確かに、俺は兵役には就かなかった。だが、身分証明書も持ったことがない。 ≪19-25≫

ああ!… そのせいで、人より多くの刑務所生活を経験してきた。だが、結局のところ、俺は一度だって悪いことをしていない。だから、いつもうまく切り抜けてきた… 以上が、俺に名前がない理由であり、そして、どこで生まれたのか正確にはわからない理由だ」 ≪19-26≫

真実には独特の響きがある、と道徳家たちが書いたように、殺人犯はその響きを見つけたのだ。 ≪19-27≫

※ la vérité a un accent particulier:  Joseph Joubert (1754-1824) Recueil des pensées de M. Joubert, published by Chateaubriand, Le Normant, Paris, 1838に書いてあるようだ。私は未確認。モラリストたち、と原文にあるのは、結構いろんなところで引用されてるのかも。

声、身振り、視線、表情、すべてが調和していた。長い語りの中、一つとして、調子を外ずす言葉はなかった。 ≪19-28≫

「さて」とセグミュラ殿は冷淡に言った。「あなたの生計手段は何ですか?」 ≪19-29≫

殺人犯は明らかに落胆していた。自らの雄弁で、刑務所の門が開くと信じ切っていたに違いない。 ≪19-30≫

「俺には芸がある」と彼は悲しげに答えた。「トラングロ母さんが教えてくれた。それで生計を立てており、フランスや他の国々でもそうしてきた」 ≪19-31≫

判事は、そこに鎧の継ぎ目を見出したと思った。 ≪19-32≫

「外国に住んでいたのですか?」と彼は尋ねた。 ≪19-33≫

「少しだけど!… 十六年間、ドイツやイギリスで、シンプソン殿の一座と一緒に仕事をした」 ≪19-34≫

※ メは英国人Simpsonを直接知っている。となると、名前は雇い主自身が名乗る英国流の「シンプソン」と発音してるはずだ。

「では、あなたは曲芸師なのですね。そんな仕事なのに、どうしてその手がこれほど白く、手入れが行き届いているのですか?」 ≪19-35≫
※ saltimbanque

被告は、当惑する様子も見せず、両手を広げ、明らかに満足そうにそれを眺めた。 ≪19-36≫

「全くだ、少なくとも」と彼は言った。「綺麗でしょう… 俺が手入れをしてるんだ」 ≪19-37≫

「それでは、何もせずに養ってもらっているのですか?」 ≪19-38≫

「ああ!… まさか!… 判事殿、俺は、ただ、観客に向かって話す、つまり『美辞麗句で惹きつける』、いわゆる口上が得意で、自惚れじゃないが、確かな腕があるんだよ」 ≪19-39≫
※ tourner le compliment / faire le boniment

セグミュラ殿はあごを撫でていた。被告が自分で自分を刺してしまったと、彼が思ったときの癖である。 ≪19-40≫
※ s'enferre: 墓穴を掘る、という意味。

「それでは」と彼は言った。「才能の片鱗を見せてください」 ≪19-41≫

「おや!… 」と男は言った。冗談だと思ったらしい。「おや!… 」 ≪19-42≫

「やって見せてください」と判事は繰り返した。 ≪19-43≫

殺人犯はもはや抗わなかった。その瞬間、変幻自在の彼の表情は全く別のものへと変わり、愚かさ、厚かましさ、そして冷笑が奇妙に混ざり合っていた。 ≪19-44≫

彼は、指揮棒代わりに判事の机の上にあった定規を掴むと、作った甲高い声に滑稽な抑揚をつけて、こう言い始めた。 ≪19-45≫
※ baguette

「音楽、やめ!… ほらお前、太鼓も、静かに!… さあさあ、紳士淑女の皆様方、これより始まりますは世にも稀なる大興行、『奇跡の劇場』の開演でございます! 空中ブランコに綱渡り、軽業に軟体芸、その他優雅でしなやか、かつ剛勇無比な数々の妙技。おまけに都からお呼びした名誉ある芸術家たちも加わりまして...」 ≪19-46≫

「もう十分!… 」判事が遮った。「フランスではそうでしょうね。だが、ドイツでは?」 ≪19-47≫

「当然、俺はその国の言葉で話す」 ≪19-48≫

「やってください!…」母国語がドイツ語のセグミュラ殿が命じた。 ≪19-49≫

被告は愚かな表情を消し、滑稽なほど尊大な態度を取り、ためらうことなく、極めて大仰な調子で再開した。 ≪19-50≫

«Mit Bewilligung der hochlöblichen Obrigkeit wird heute vor hiesiger ehrenwerthen Bürgerschaft zum erstenmal aufgeführt... Genovefa, oder die....» 
「高貴なる当局の許可を得て、本日、この名誉ある市民の皆様の前で初めて上演されるのです...『ジェノヴェーファ、あるいは...』」 ≪19-51≫

「もういい!…」と判事は冷たく言った。 ≪19-52≫

己の失望を隠すためだろうか、彼は立ち上がると、こう付け加えた。 ≪19-53≫

「通訳を呼んで、あなたが英語も同じく流暢なのか確かめましょう」 ≪19-54≫

その言葉で、ルコックは控えめに前に出た。 ≪19-55≫

「私は英語が話せます」と彼は言った。 ≪19-56≫

「おお、それは良い。被告人、聞きましたね…」 ≪19-57≫

男は、またしても変貌を遂げていた。英国人特有の冷静さと重厚さが、彼の顔に表れ、身振りは硬く、慇懃無礼になった。彼は極めて生真面目な口調でこう言った。 ≪19-58≫

«Ladies, and Gentlemen, Long life to our queen, and to the honourable mayor of that town. No country England excepted,--our glorious England!--should produce such a strange thing, such a parangon of curiosity...» 
「レディース・アンド・ジェントルメン、女王陛下とこの町の名誉ある市長の御長寿をお祈り申し上げます。イングランド、我らの栄光あるイングランド以外の国で、このように奇妙な、好奇心を掻き立てる、数々の珍品を生み出すことが出来るでしょうか...」 ≪19-59≫

彼はさらに一分間、淀みなく話し続けた。 ≪19-60≫

セグミュラ殿は机に肘をつき、両手で額を押さえていた。ルコックも驚きを隠しきれずにいた。 ≪19-61≫

ただ一人、笑顔の書記官ゴゲだけが楽しそうだった... ≪19-62≫

※ 初出紙の連載第28回目(1868-6-23)の終わり


(つづく)
 
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