
初出紙の本日掲載分(1868-6-7)の第一面。犯行現場の見取り図が掲載されている。多分、有名探偵小説の現場見取り図が公開された初の事例。当日のプチジュルナルの公式部数は256650部(紙面の左上に記載)。英国The Notting Hill Mystery by Charles Felix の連載第七回(Once a Week 1863-1-10)のは、マイナーで後世への影響はどうだろう? 単なるフロアの間取り図だし… なおThe Notting Hill Mystery - Wikisource, the free online libraryで公開されてます)
VIII
日が昇り始めたが、それは悲しく陰鬱な夜明けだった。その頃、ルコックと年上の同僚は、これで調査は十分だと判断した。 ≪8-1≫
酒場の中は、隅々まで探索され、入念に調べられ、いわば虫眼鏡で精査されていないような場所など、もはや一寸たりとも残されていなかった。 ≪8-2≫
あとは報告書を作成するだけだ。 ≪8-3≫
若い刑事はテーブルの前に座り、まず殺人現場の見取り図を描き始めた。その図面には記号と説明文が添えられており、彼の報告を理解するのに大いに役立つはずだ。 ≪8-4≫
(見取り図)

A. -----治安局所属警部ジェヴロルが指揮する巡回隊が犠牲者の叫び声を聞いた地点。
(この地点から『胡椒入れ』と呼ばれる酒場までの距離は、わずか123メートルで、その叫び声が格闘の始まりの最初のものと推察される)
※ この地点は ≪1-38≫で記したが、北緯 48°49'50"、東経 2°22'10"(Google Map表記: 48.830556, 2.369444)付近とGeminiが推察(ただし私は未精査)。まあ話半分で、このあたり、としておくと面白い。
B. -----厚い鎧戸で閉めきられていた窓。
隙間から捜査官の一人が内部の様子を覗き見ることができた。
C. -----治安局警部ジェヴロルによって押し破られたドア。
D. -----シュパン後家が泣いて座り込んでいた階段。
彼女は一時的に逮捕された。
(後に、この階段の三段目から彼女の前掛けが発見されたが、ポケットは全て裏返しにされていた)
F. -----暖炉
H. H. H. -----テーブル
(FとBの間に置かれたテーブルの上には、野菜鉢一つと、グラス五つの跡が確認された。)
T. -----酒場の奥の間に通じる出入口。
その前に武器を持った殺人犯が立ちはだかっていた。
※ この順なら、ガボリオの原稿では「I」だった? 見づらいので編集部が変えたのかも。
K. -----庭に通じる、酒場の第二の出入口。
殺人犯の退路を断とうと考えた一人の捜査官が、そこから内部へ突入した。
L. -----庭の小門、空き地に通じている。
M. M. M. -----雪の上の足跡。
(ジェヴロル警部が現場を去った後、『胡椒入れ』に残った捜査官たちが採取した)
このように、説明文の中で、ルコックは自分の名前を一度も記していなかった。 ≪8-5≫
自ら推理し、実行したことを説明する時には、単に「一人の捜査官…」と書いただけだ。 ≪8-6≫
それは謙虚さではなく、計算だった。適切に身を隠しておけば、表舞台に出たとき、存在感をいっそう際立たせることができる。 ≪8-7≫
ジェヴロルを前面に出したのも、計算の上だ。 ≪8-8≫
この策略は、やや小賢しいものだったが、許容されるものだろう。上司のジェヴロルの行動が結局扉をぶち破っただけ、と記して、的確に行動した捜査官のほうに注目を向けさせようとしている。 ≪8-9≫
彼が作成していたのは、司法警察官だけに認められた公的な証拠能力を持つ調書ではなく、せいぜい参考資料として受理されるに過ぎない単なる報告書だった。それにもかかわらず、彼はまるで若き将軍が初勝利の軍報を綴るかのように、細心の注意を払って仕上げていた。 ≪8-10≫
※ la police judiciaire: 逮捕状の執行や公式な「調書(procès-verbal)」を作成する法的権限を持つ官職(主に警部以上)。警察の権限を厳密にして司法判断を確実にするため、1808年にナポレオンが制定した「刑事訴訟法典(Code d'instruction criminelle)」による資格制度のようだ。ジェヴロルは「警部」なので資格がありそう。なお、これはGeminiの情報で、未確認部分あり。
彼が図を描き、文章を綴っている間、アプサント親父は彼の肩越しに覗き込んでいた。 ≪8-11≫
特にその見取り図には、親父もすっかり感嘆してしまった。これまで数多くを目にしてきたが、これほどの仕事をやるには、せめて技師か建築家、さもなくば測量士でなければ無理だと思い込んでいた。ところがどうだ。新入りの同僚は、数か所を測ったメートル尺一個と定規代わりの板切れ一本で、鮮やかにやり遂げてみせたのである。 ≪8-12≫
ルコックに対する彼の敬意は、驚くほど高まった。 ≪8-13≫
だが実際のところ、ジェルザレム通りの立派な老練兵は、若い刑事が内心で虚栄心を爆発させ、すぐ殊勝な態度に戻ったことなど、少しも気づいていなかった。ルコックが抱いていた不安や迷いも、あるいはその洞察に潜む欠陥にも、思い至らなかった。 ≪8-14≫
だがしばらくすると、アプサント親父は、ペンが紙の上を走るのを見るのに飽きてしまった。徹夜明け特有の、あのえも言われぬ不快感に襲われ、頭は火照っているが、体の震えが止まらなくなった。 ≪8-15≫
彼自身の言葉を借りれば、「膝が体にめり込んじまった」ようで、それからもう立っているのもやっとだった。 ≪8-16≫
おそらく、自覚はなかったが、夜明けの青白い光の中でより不気味に見えるこの酒場の雰囲気にも、何らかの影響を受けていたのだろう。 ≪8-17≫
とにかく、彼は戸棚を漁り始め、ついに、なんと嬉しいことに!… 四分の三ほど中味が残ったブランデーの瓶を見つけた。一瞬躊躇はあったが、まあいい!…と、大きなグラスにたっぷり注ぎ、一気に飲み干した。 ≪8-18≫
「あなたもどうだい?」と彼は相棒に尋ねた。「品質は… 上等じゃないが…悪くない。身体があったまるし、気分も晴れる」 ≪8-19≫
ルコックは断った。気分を晴らす必要はなかった。知性の全能力が今や集中している。報告書を読むだけで、予審判事が「これを書いた男を連れてこい」と言うようにしなければならない。刑事としての彼の将来は、そういう命令が来るかどうかにかかっていた。 ≪8-20≫
彼は、簡潔さと正確さに特に留意し、殺人犯に対する疑念がどのように生まれ、膨らみ、そして確信へと至ったかを克明に記した。一連の推論によって導き出した真相は、たとえ真実ではなくとも、予審の基礎とするのに十分な蓋然性を備えていた。 ≪8-21≫
それから、彼は目の前に並べた数々の証拠品を詳しく検分し、記録していった。 ≪8-22≫
厚板から採取された茶色の羊毛くず、高価なイヤリング、庭に残された様々な足跡の石膏模型、ポケット全部が裏返ったシュパン後家のエプロン。 ≪8-23≫
殺人犯の拳銃。五発中三発がまだ装填されたまま。 ≪8-24≫
その銃は装飾されていなかったが、非常に美しく丁寧な作りで、その握りにロンドン一流の銃器店の名が刻まれていた-----スティーブン、スキナー通り14番地。 ≪8-25≫
※ Stephen, 14, Skinner-street: 有名銃器店Stephenは架空。 実在のHenry Beckwith というgunmakerが1864-1868に、58 Skinner Street, London E. (ロンドン東郵便区) に店を構えていたらしいので、Skinner Streetにはリアリティがあったのだ。
ルコックは、犠牲者たちをくまなく探れば、おそらく非常に貴重な、新たな手がかりがさらに集まるはずだと直感していた。だが、あえて実行する勇気はなかった。踏み切るにはまだ新米すぎた。それに、勝手な真似をすれば、己の見当違いに立腹したジェヴロルが、遺体の状態を乱したので医師の鑑定が駄目になったと、怒鳴り散らすだろう。 ≪8-26≫
彼が気持ちを落ち着かせ、報告書を読み返し、ところどころ表現を直していると、ドアの敷居でパイプを吸っていたアプサント親父が彼を呼んだ。 ≪8-27≫
「何かあった?」とルコックは応じた。 ≪8-28≫
「ジェヴロルと同僚二人が、署長と身なりの良い紳士二人を連れて戻ってきた」 ≪8-29≫
※ 初出紙の連載第12回目(1868-6-7)の終わり
(つづく)
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