(追記: 2026-2-1 0:37) 公開して、気づきましたが、これじゃ字が小さすぎて読めないですね!
明日、訳文のみのヴァージョンにして、小説を楽しめるようにいたします。
改造社の田中早苗さんの翻訳は国会図書館デジタルコレクションで読めますので、そちらでお楽しみくださいね。

「ムッシュー・ルコック」は、最初日刊紙 Le Petit Journalに連載された。出版はl'éditeur Dentu (1869)である。
1 partie. Le Meurtre : 27 mai – 31 juillet 1868,
2 partie. L’Honneur du nom : 7 août – 3 décembre 1868
この連載は、今回のみ、以下の邦訳を載せるが、2回目以降は弾十六の翻訳文のみ掲載する。
仏文テキストはHuitième édition, Dentu, Paris 1875を参照。
欧文の場合、テキスト中の_(アンダースコア)に挟まれた文字はイタリックである。邦文の場合は、圏点である。
仏文テキストのすぐ下は弾十六訳である。
以下の邦訳を掲載した。
🟣「世界大衆文学全集26 ルコック探偵」 田中早苗訳(改造社 1929)
🟢「世界推理小説大系第二巻 ガボリオ: ルコック探偵」永井郁訳(東都書房 1964)
🔴「ルコック探偵」松村喜雄訳(旺文社文庫 1979; グーテンベルク21 2004)
🟡「世界名作物語 名探偵ルコック」江戸川乱歩(講談社 1948)
🟤 「少年少女世界の名作文学22 フランス編4 : ルコック探偵尾行命令」氷川瓏訳(小学館 1964)
🔵 "Lecoq, the Detective" [translated by Mrs. Laura E. Kendall] (Vizetelly & Co., London 1886)
※ 英訳は他に、"Monsieur Lecoq" (ed. E. F. Bleiler, Dover 1975) 及び "Monsieur Lecoq" (Charles Scribner's Sons, New York 1906)を参照した。
※ 以下は注釈である。
【献辞】
À M. ALPHONSE MILLAUD
DIRECTEUR DU _PETIT JOURNAL_
アルフォンス・ミロー(プチ・ジュルナル編集長) 様へ
_Ce n'est pas à vous, Monsieur le Directeur, que j'offre ce volume_...
本書は、編集長に捧げるのではありません…
_Je le dédie à l'ami de tous les jours, à vous, mon cher Alphonse,
comme un témoignage de la vive et sincère affection_
日常の友であるあなた、親愛なるアルフォンスに献呈するのです
心からの深い愛情の証として
_De votre dévoué_
ÉMILE GABORIAU.
あなたに忠実な
エミール・ガボリオ
* * *
MONSIEUR LECOQ PREMIÈRE PARTIE
L'ENQUÊTE
捜査
[第一章 調査]東都
[第一章 捜索]旺文
[第一編 怪囚人]乱歩
[第一章なぞの男]小学
I
[I.]
[一、深夜の惨劇]改造
[一]東都
[一]旺文
[一 深夜の惨劇]乱歩
[深夜の事件]小学
Le 20 février 18.., un dimanche, qui se trouvait être le dimanche gras, sur les onze heures du soir, une ronde d'agents du service de la sûreté sortait du poste de police de l'ancienne barrière d'Italie. ≪1-1≫
一八…年二月二十日、日曜日、ちょうど謝肉祭の日曜日であった。夜十一時頃、 治安局所属の巡回隊が古いイタリア関所の派出所を出発した。
♠️千八百--年の二月二十日、ちょうど懺悔日曜のことであった。夜も慚く更けわたろうとする十一時ごろ、数名の警官隊が、綽名を「大将」と呼ばれた勇猛な警部に率いられて、巴里南端のバリエール・ヂタリー警察を出発した。
🟩一八……年二月二十日、その日は四旬節前の最後の日曜日だったが、むかしのイタリア関門のところにある警察派出所から、警戒勤務の巡察隊が出発したのは夜の十一時頃のことだった。
❤️一八××年二月二十日のことである。その日は日曜の告解日(肉食日)だった。夜もふけた十一時ごろ、警察警備隊の一団が、旧イタリー広場の駐屯所から出動した。
🟡夜もようやくふけようとする午後十一時ごろ、ねしずまったパリーの場末の街を行く数名の警官隊があった。時は今から百年あまり前の西暦一八四〇年ごろ、二月二十日、ちょうど日曜日のことである。
🐻夜もようやくふけわたる午後十一時ごろ、ねしずまったパリの藤の、ある場科の明を、製のパトロールの警官隊が進んでいった。時は一八三〇年代のなかばごろで、その日は二月二十日、ちょうど日曜日であった。
At about eleven o’clock in the evening of the 20th of February, 186--, which chanced to be Shrove Sunday, a party of detectives left the police station near the old Barriere d’Italie to the direct south of Paris.
※ le dimanche gras: 宗教的に正確な用語ではないと思うが「謝肉祭の日曜日」とした。事件の日は皆で飲んで肉食って踊って、大騒ぎとなる日だったよ、と言うこと。
※ sûreté: 詳細は素晴らしい瀬名論考https://honyakumystery.jp/23313参照。本訳では訳語を「治安局」としておく。
※ du poste de police: 分署レベルなのか派出所程度なのか。勝手な推測だが規模は小さい気がした。本訳では「派出所」とした。
※ barrière: 旧パリ市域を囲む城壁には、沢山の「関所」があった。
※ barrière d'Italie: ルイ王朝時代は農業関税の関所の一つだったようだ。≪11-1≫などではこのあたりをイタリア広場(place d'Italie)と呼んでいる。
※ 186--: なぜかVizetellyは1860年代だとしている。この小説の作中現在は「ムッシュー・ルコックへの助走2」を参考願います。
※ Charles Scribner's 1906は、基本的にVizetellyと同じ英語だが、章立てを原語版と合わせていたり、表現を変えているところがあった。そちらではOn February 20, 18--, a Sunday that chanced to be Shrove Sunday, about eleven o'clock in the evening, a party of agents of the safety-service left the police-station at the old Barriere d'ltalie.
La mission de cette ronde était d'explorer ce vaste quartier qui s'étend de la route de Fontainebleau à la Seine, depuis les boulevards extérieurs jusqu'aux fortifications. ≪1-2≫
この巡回の任務は、フォンテンブローからセーヌ川まで、外側の大通りから堡塁に至る広大な地区を探索することであった。
♠️この警官隊は、フォンテーンブロー街道からセエヌの河縁(かわべり)までと、外遊歩街(そとブルバアル)から城壁までの広大な区域にわたって、深夜の巡邏(みまわり)をするのが役目であった。
🟩この巡回の任務はフォンテンプロー街道からセーヌ川まで、城外の墨道から城塞までの広い区域を偵察することにあった。
Their mission was to explore the district extending on the one hand between the highroad to Fontainebleau and the Seine, and on the other between the outer boulevards and the fortifications.
※ Fontainebleau: 音訳は今でもフォンテーヌブローが多め?
※ boulevards extérieurs: 現在の地名をGeminiで調べた。未確認。
ア) 西側: Boulevard Auguste Blanqui 当時はここに「徴税請負人の壁」があり、そのすぐ外側がこの通り
イ) 東側: Boulevard Vincent Auriol 当時はBoulevard de la Gare
ウ) 北側(市内中心へ): Boulevard de l'Hôpital イタリア広場からセーヌ川(オステルリッツ駅方面)へ続く道
※ fortifications: 旧パリ市域を囲っていた城壁の堡塁。Enceinte de Thiersは1844年に完成した。
Ces parages déserts avaient alors la fâcheuse réputation qu'ont aujourd'hui les carrières d'Amérique. ≪1-3≫
この人里離れた辺境は当時、現在のアメリカ採石場のような悪名高い評判があった。
♠️ところがその界隈は、今はそうでもないが、その時分はおそろしく物騒な土地で、女子供は無論のこと、屈強な男も気味わるがって、成るべく立入らぬらようにしたものだ。
🟩そのころ人影もまれなこの辺りは、当節アメリカの生活舞台にあるような物騒な評判がたっていたものだ。
This quarter of the city had at that time anything but an enviable reputation.
※ les carrières d'Amérique: 現在のMouzaïa地区にあった石膏の採石場。アイルランド人Fitz Méraldが1810年代に開発。露天掘りで、米国ホワイトハウスの材料も此処から運ばれた、と言う(未確認の)噂もあった。1860年代には大部分が放棄された。1869年にHenry Harrisseという人が「泥棒、詐欺師、浮浪者が住み着いている」と記録している。1873年に最後の採掘場が閉鎖された。ギブスの英語でplaster of Parisだけど、パリは石膏の名産地だったんだね。
S'y aventurer de nuit était réputé si dangereux, que les soldats des forts venus à Paris, avec la permission du spectacle, avaient ordre de s'attendre à la barrière et de ne rentrer que par groupes de trois ou quatre. ≪1-4≫
夜間に足を踏み入れるのは危険極まりない地帯とされ、休暇でパリに遊びに来る要塞の兵士たちなどは、関所で待ち合わせ、三、四人ずつ集まってから通行するよう指示されていた。
♠️殊に夜歩きが危険なので、夕暮からはばったり人足(ひとあし)が杜絶えるという風で、鬼を欺く要塞の兵士でさえ、休日に巴里へ出て来るときは、城壁付近は少くとも三四人隊をなして通行しろと厳命されていたのである。
🟩堡塁の詰所からパリへ休暇をもらって遊びにやってくる兵隊たちも、戻りには関門のところで互いに待ちあわせ、三人四人とかたまってから帰るようにと命令されてくるほど、この辺りの夜道は危険千万とみなされていた。
To venture there at night was considered so dangerous that the soldiers from the outlying forts who came in to Paris with permission to go to the theatre, were ordered to halt at the barriere, and not to pass through the perilous district excepting in parties of three or four.
※ les soldats des forts
C'est que les terrains vagues, encore nombreux, devenaient, passé minuit, le domaine de cette tourbe de misérables sans aveu et sans aile, qui redoutent jusqu'aux formalités sommaires des plus infâmes garnis. ≪1-5≫
数多くの空き地が依然として残っており、真夜中を過ぎると、そこはごろつきどもの住処となる。定住地がなく、最低の宿屋の形式的な手続きさえ好まない、哀れな浮浪者どもだ。
♠️というのは、その辺は一帯に、脱獄囚人だの、殺人や強窃盗を常習としている犯罪者の集合地(たまりば)なので、真夜中過ぎになると、そうした浮浪人どもが、何処からともなくその穢(むさく)るしい街々に集って来て、怪しい影がそこにもここにも蠢く。
🟩それというのも、まだいくらでもある空地が深夜を過ぎると、最下等の安宿の簡単な手続きをさえきらう浮浪人や、宿無しのごろつきどもの群れに占領されるからである。
After midnight, these gloomy, narrow streets became the haunt of numerous homeless vagabonds, and escaped criminals and malefactors,
Les vagabonds et les repris de justice s'y donnaient rendez-vous. Si la journée avait été bonne, ils faisaient ripaille avec les comestibles volés aux étalages. Quand le sommeil les gagnait, ils se glissaient sous les hangards des fabriques ou parmi les décombres de maisons abandonnées. ≪1-6≫
流浪者と前科者がそこで出会う。うまいことやった日などは、店頭から盗んだ食料で宴を催した。眠気が襲うと、工場の物置や崩れた廃屋に身を潜めた。
♠️そしてうまい仕事をやって来た奴等は、たらふく酒を鯨飲(あお)ったあげくに喧嘩をしたり、馬鹿騒ぎをやったりして、眠くなれば軒下だろうが、空家の中だろうが、処構わずもぐりこんで、ごろごろ眠ているという有様であった。
🟩この辺りの空地は浮浪者や前科者の会合場所となっていた。彼らは日雇仕事で金を持つと、店先からかっぱらって来た食物などを持ち寄って宴会をやった。眠くなると、製造所の小屋とか、廃屋の残骸などにもぐりこんで眠った。
moreover, made the quarter their rendezvous. If the day had been a lucky one, they made merry over their spoils, and when sleep overtook them, hid in doorways or among the rubbish in deserted houses.
※ hangard: Robert大仏和にも項目なし。hangarの誤植? どうせ語末のdなど発音しないしね。
Tout avait été mis en oeuvre pour déloger des hôtes si dangereux, mais les plus énergiques mesures demeuraient vaines. ≪1-7≫
こうした危険な住人を追い出すためあらゆる手段が講じられたが、最も強力な措置さえも無駄に終わった。
🟩こういう物騒なお客を追い出すためにとられた、当局のあらゆる手段も、断固たる処分もなんのききめもなかった。
Every effort had been made to dislodge these dangerous guests, but the most energetic measures had failed to prove successful.
Surveillés, traqués, harcelés, toujours sous le coup d'une razzia, ils revenaient quand même, avec une obstination idiote, obéissant, on ne saurait dire à quelle mystérieuse attraction. ≪1-8≫
監視され、追跡され、嫌がらせを受け、常に襲撃の脅威にさらされながらも、彼らは愚直な執念で戻ってくる。どんな神秘的な吸引力があるのか、誰もが不思議に思っていた。
🟩見張られても、追い出されても、言うにいわれぬ不思議な惹力にずるずると引かれて彼らはまたも集まってきた。
Watched, hunted, and in imminent danger of arrest though they were, they always returned with idiotic obstinacy, obeying, as one might suppose, some mysterious law of attraction.
Si bien que la police avait là comme une immense souricière incessamment tendue, où son gibier venait bénévolement se prendre. ≪1-9≫
警察がそこに巨大なネズミ捕りのような罠を仕掛けても、獲物は自ら進んで捕らえられにやって来た。
🟩ねをあげたのは警察の方で、その結果この辺一昔を獲物が自ら進んで捕われに来る常設的な広い大きな罠と考えてあつかうようになった。
Hence, the district was for the police an immense trap, constantly baited, and to which the game came of their own accord to be caught.
Le résultat d'une perquisition était si bien prévu, si sûr, que c'est d'un ton de certitude absolue que le chef de poste cria à la ronde qui s'éloignait: ≪1-10≫
捜索すれば成果は確実だったので、派出所主任は遠ざかる部隊に揺るぎない確信を込めて叫んだ。
🟩網をしぼれば成果は必ず予想どおりにあがっていた。この時も遠去かって行く巡察隊をはげます派出所の主任の声の調子にその確信がうかがえた。
The result of a tour of inspection of this locality was so certain, that the officer in charge of the police post called to the squad as they departed:
※ le chef de poste: 第11章で再登場する。
--Je vais toujours préparer les logements de nos pratiques. Bonne chasse et bien du plaisir! ≪1-11≫
「いつものように、常連たちの部屋を用意しておく。狩を大いに楽しめ!」
🟩「おとくいさんの部屋はちゃんと用意しとくからな、うまくやれよ、おたのしみだな…」
“I will prepare lodgings for our guests. Good luck to you and much pleasure!”
Ce dernier souhait, par exemple, était pure ironie, car le temps était aussi mauvais que possible. ≪1-12≫
だが最後のセリフは、純然たる反語表現だった。なぜなら天候は最悪だったからだ。
🟩あとの言葉はまったく他意のない皮肉だった。その日は文句なしの悪天候に見舞われていた。
This last wish was pure irony, for the weather was the most disagreeable that could be imagined.
Il avait abondamment neigé les jours précédents, et le dégel commençait. Partout où la circulation avait été un peu active, il y avait un demi-pied de boue. Il faisait encore froid cependant, un froid humide à transir jusqu'à la moelle des os. Avec cela le brouillard était si intense que le bras étendu on ne distinguait pas sa main. ≪1-13≫
数日前から雪が降り積もって、それが解けはじめていた。通行量が多い道のあちこちに半ピエ(約15cm)もの泥がぬかるんでいた。気温は依然として非常に低く、骨の髄まで凍るような湿った寒風が吹いていた。加えて、霧が非常に濃く、伸ばした腕の先の自分の手すら見えない。
♠️さてその晩は、二三日ひっきりなしに降りつづいた雪が昼から溶けだしたので、本通りの往還(おうかん)では泥雪が脚踝(くるぶし)を没した。そのくせ、いやに湿っぽい寒気は骨の髄までも徹(とお)りそうで、おまけに濃い靄が刻々に立ちこめて来て、鼻っ先へ手を出しても見えないくらいだった。
🟩二、三日前からかなりに降りつもった雪が解けはじめていた。いたるところ、少し交通のはげしいところならば、半フィートも泥が深かった。まだ寒い、湿気をふくんだ寒風が、骨の髄までふるえあがらせていた。それに加えて濃霧が、腕をのばせば手の先を見分けられないほどたちこめていた。
❤️連日ふりしきった雪がとけ始め、ひどい霧になっていた。
🟡二三日ふりつづいた雪が昼からとけ始めたので、道は泥雪でぬかるみ、寒気は骨にまでしみとおるほどきびしかった。その上、こい靄が一面に立ちこめて、一メートル先も見えないのである。
🐻二、三日前から降りつづいた雪がやんで、昼ごろからとけだしたために、道はぬかるみ、寒さは身にしみるようにきびしい。そのうえ、こいもやがたちとめて、数メートル先も見えない。
A very heavy snow storm had prevailed for several days. It was now beginning to thaw, and on all the frequented thoroughfares the slush was ankle-deep. It was still cold, however; a damp chill filled the air, and penetrated to the very marrow of one’s
bones. Besides, there was a dense fog, so dense that one could not see one’s hands before one’s face.
※ pied: 長さの単位。約30.5mm、メートル法以前は32.48mm
--Quel chien de métier! grommela un des agents. ≪1-14≫
「なんて嫌な業務だ!」一人の捜査官が文句を言った。
♠️「辛い晩だなァ、ああ厭だ厭だ」警官の一人が情けない声で歎息(こぼ)すと、
🟩「なんて因果なしょうばいだ!」等官の一人が不平を言った。
🟡「ああ、いやな晩だなあ。」警官の一人は、こんな夜に巡視をしなければならないつらさに情ない声を出した。
🐻「ああ、いやな晩だなあ。」警官のひとりが、うんざりしたような声をした。
“What a beastly job!” growled one of the agents.
※ agent: 本訳では「捜査官」と翻訳して、policier(刑事)と区別した。
※ ああ厭だ厭だ: 田中訳のこのセリフ、実に良いねえ。
--Oui, répondit l'inspecteur qui commandait la ronde, je pense bien que si tu avais seulement trente mille francs de rentes, tu ne serais pas ici. ≪1-15≫
「ああ」と巡回隊を指揮する警部が応じた。「不労所得がたったの三万フランでもありゃ、お前は絶対ここに居ないさ」
♠️「辛くても我慢しろ」隊長がたしなめるやうに呶鳴った。「君等がせめて年収の二万法(フラン)もある御身分なら、こんな時刻にこんな場所を引廻しはせんよ」
🟩「そうだな」と巡察隊の指揮をとっている警部が答えた。「少なくとも三千フランがとこ年金がありさえすりゃあ、おまえ足をあらっているところだな」
🟡「つらくてもがまんしろ」どなったのは隊長のゼブロール警部である。
🐻「もんくをいうな!これがつとめじゃないか!」隊長のジェプロル警部はどなった。
“Yes,” replied the inspector who commanded the squad; “if you had an income of thirty thousand francs, I don’t suppose you’d be here.”
※ 既訳は何故かいずれも金額を微妙に間違っている(×20000、×3000、◯30000)。下で示したように試算しないと実感が湧かないので、間違えてもスルーしちゃうよね。
※ trente mille francs: フランスの物価指数を今世紀初めや前世紀まで遡って計算出来る便利なサイトはまだ存在しないようだが、私は『マクミラン: ヨーロッパ歴史統計1750-1993』の生計費表とフランス消費者物価のサイト(inflation calculator: France 1960?年以降が有効)を使って試算した。1FRA(1850旧フラン)=34.07FRF(2025新フラン)=5.19EUR(2025)=939円(2025) 従って三万フランは約二千八百万円。
仏物価指数1850/1914で76:100、1914/1948で17:1664、1948/1961で63:138、つまり1850/1961で282.12倍(但し1960年にフランは1/100のデノミを実施しているのでFRFベースでは2.82倍)、ネット上の仏物価指数1961/2025で12.69:153.3(12.08倍) 結果1850/2025で34.07倍。
金基準で計算すると1850/1961で1.62FRFとなるので、 1850/2025で19.57FRF=2.98EUR=539円
Le rire qui accueillit cette vulgaire plaisanterie était moins une flatterie qu'un hommage rendu à une supériorité reconnue et établie. ≪1-16≫
粗野な冗談だったが周りは大いに笑った。愛想笑いではなく、部下たちは上司の明白な優位性を認めて信頼し、讃えているようだった。
♠️「ハッハハ」皆がドっと笑った。上官の洒落だから、お附合いに笑ったのではない。実際、妙に悲惨な可笑味を感じたのであった。
The laugh that greeted this common-place joke was not so much flattery as homage to a recognized and established superiority.
L'inspecteur était, en effet, un serviteur des plus appréciés à la Préfecture, et qui avait fait ses preuves. ≪1-17≫
実際、この警部はパリ警視庁で最も評価の高い職員の一人であり、確かな実績を残していた。
🟩彼は警視庁でも評判の高い警部の一人で、また、それだけの力量を示してもいた。
❤️この警官の一団を指揮しているのは、パリ警視庁でも一番といわれる腕きき
The inspector was, in fact, one of the most esteemed members of the force, a man who had proved his worth.
※ Préfecture: 一回だけ「パリ警視庁」と訳した。詳細は瀬名論考≪1-1≫参照。
Sa perspicacité n'était peut-être pas fort grande, mais il savait à fond son métier et en connaissait les ressources, les ficelles et les artifices. La pratique lui avait, en outre, donné un aplomb imperturbable, une superbe confiance en soi et une sorte de grossière diplomatie, jouant assez bien l'habileté. ≪1-18≫
洞察力はそれほど優れていないかもしれないが、仕事を奥底まで理解し、いろいろな手段や手口、策略を熟知していた。さらに現場経験から、揺るぎない落ち着きと圧倒的な自信が備わっていて、ある種の荒っぽい交渉術で、傍目には有能と見える手腕を十分に発揮していた。
♠️この警部は、本名はゼブロールだが、「大将」という綽名の方がよく通っているのだ。{≪1-22≫参照} 驚くほどいい頭脳でもないが、多年の経験というものは偉いもので、今ではどんな種類の犯罪でも、あらゆる隅々まで見透す眼識が出来ている上に、冷静で自信力があって、
🟩大して敏腕というほどでもなかったが、警察官としての仕事を底の底まで知りつくし、経験にものをいわせてあの手この手のかけひきを心得ていた。
🟡この警部は「大将」というあだ名の方がよく知られ、勇猛で評判が高かった。おどろくほど、いい頭脳ではないが、多年の経験の力で今ではどんな種類の犯罪でも、一通りは処理する手腕を持っていた。
🐻この警部は、勇敢でがむしゃらなことで名が高く、"大将”というあだ名でとおっていた。{≪1-22≫参照} 頭のほうはとりたてていいというわけではないが、長いあいだの経験とかで、いまではどんな種類の犯罪でも、ひととおりは見とおす目と、これを解決する腕を持っていた。
His powers of penetration were not, perhaps, very great; but he thoroughly understood his profession, its resources, its labyrinths, and its artifices. Long practise had given him imperturbable coolness, a great confidence in himself, and a sort of coarse diplomacy that supplied the place of shrewdness.
À ces qualités et à ces défauts, il joignait une incontestable bravoure. ≪1-19≫
こうした長所と短所に加え、疑いようのない勇敢さも備えていた。
To his failings and his virtues he added incontestable courage,
Il mettait la main au collet du plus redoutable malfaiteur aussi tranquillement qu'une dévote trempe son doigt dans un bénitier. ≪1-20≫
最も凶悪な犯罪者の首根っこを捕らえるのも全く平気で、彼にとっては信心深い女性が聖水盤に指を浸すのと同じくらいの行動だった。
♠️おまけに、友達の肩を叩くような調子で、どんな悪漢の襟頸でも攫もうという糞度胸があった。
and he would lay his hand upon the collar of the most dangerous criminal as tranquilly as a devotee dips his fingers in a basin of holy water.
※ 友達の肩を叩く: 良い言い換えですね!
C'était un homme de quarante-six ans, taillé en force, ayant les traits durs, une terrible moustache, et de petits yeux gris sous des sourcils en broussailles. ≪1-21≫
四十六歳で、がっしりとした体格に荒々しい顔立ち、恐ろしいほどの口ひげ、もじゃもじゃの眉毛の下に小さな灰色の目をしていた。
♠️齢は四十五六、小背(こぜい)ながら慓悍な面がまえで、毛虫のような眉毛の下か人を睨む眼つきが凄い。
🟩彼はがっちりした体格と、きびしい面がまえにこわいひげ、ぼさぼさ眉の下に小さな灰色の眼をした四十五、六の男で、
🟡年は四十五六、背はひくいが、おそろしい顔で、毛虫のような眉の下から人をにらむ目つきはものすごい。
🐻年は四十五、六歳。背はひくいが、顔つきは恐ろしく、太いまゆの下から、人をにらむ目は、ぎろりと光ってものすごい。
He was a man about forty-six years of age, strongly built, with rugged features, a heavy mustache, and rather small, gray eyes, hidden by bushy eyebrows.
Son nom était Gévrol, mais le plus habituellement on l'appelait: Général. ≪1-22≫
本名はジェヴロルだったが、皆は「将軍」と呼んだ。
♠️{≪1-18≫で訳出}
🟩名をジェヴロルといったが通称『大将』でとおっている警部だった。
❤️ジェヴロール警部だが、ふだんみんなは彼を『大将』と呼んだ。
🟡{≪1-18≫で訳出}
🐻{≪1-18≫で訳出}
His name was Gevrol, but he was universally known as “the General.”
※ Gévrolは『ルルージュ事件』(1865) 第一章から登場する。ルコックの上司だが、ルコックは内心軽蔑しており、ジェヴロルの発言にチャチャを入れる。『ルルージュ』では「将軍」とは呼ばれていない。
※ Généralには日本語の「大将」のような揶揄うようなニュアンスはなさそう?
Ce sobriquet caressait sa vanité, qui n'était pas médiocre, et ses subordonnés ne l'ignoraient pas. ≪1-23≫
このあだ名は彼の並大抵ではない虚栄心をくすぐり、部下たちもそれを承知していた。
This sobriquet was pleasing to his vanity, which was not slight, as his subordinates well knew;
Sans doute il pensait qu'il rejaillissait sur sa personne quelque chose de la considération attachée à ce grade. ≪1-24≫
おそらく彼は、その称号に相応しい威厳が自身にも備わっていると考えていたのだろう。
and, doubtless, he felt that he ought to receive from them the same consideration as was due to a person of that exalted rank.
--Si vous geignez déjà, reprit-il de sa grosse voix, que sera-ce tout à l'heure? ≪1-25≫
「この程度で弱音を吐くのか」と彼は叱った。「じゃあこの先何て言うつもりだ?」
♠️「泣き言をならべるには些(ちっ)と早すぎるぞ。今にも大事件に出っくわしたら、何(ど)うするつもりだ」警部は再び声を励ました。
🟩「今から愚痴をこぼすようじゃこれから先はどうなるんだい」と彼は部下をたしなめた。
🟡「泣き言をならべるな。今にも大事件に出くわしたら、どうするつもりだ。」警部はふたたび大声で部下をはげました。
🐻「さあ、みんな、元気を出せ!大事件にでも出っくわしたら、どうするんだ!」警部はふたたび、大声で部下をはげました。このあたりは、脱獄囚や、たちの悪い犯罪者が集まるところで、女や子どもはむろんのこと、しっかりした男でもきみ悪がって、昼間でもあまり近よらない。夜はなおぶっそうで、日が暮れると、ばったりと人足がたえてしまう。花の都といわれるパリも、場末のここはまっくらで、ひっそりとしずまりかえっていた。
“If you begin to complain already,” he added, gruffly, “what will you do by and by?”
Dans le fait, il n'y avait pas encore trop à se plaindre. ≪1-26≫
実際のところ、まだ文句には早かった。
♠️まったく泣き言には早すぎた。それに、こんな厭な晩には、得てして怪事件が突発するものなのだ。
🟩実際まだ大してこぼすほどのことはなかったのだ。
In fact, it was too soon to complain.
La petite troupe remontait alors la route de Choisy: les trottoirs étaient relativement propres, et les boutiques des marchands de vins suffisaient à éclairer la marche. ≪1-27≫
小編成の部隊はその時、ショワジーへの道を進んでいた。歩道は比較的きれいで、ワイン商の店々の明かりが十分に道を照らしていた。
🟩巡察隊はその時ショアジイ街に出た。道は比較的清潔だし、酒をひさぐ店々が歩行に充分の光をなげかけてくれた。
The little party were then passing along the Rue de Choisy. The people on the footways were orderly; and the lights of the wine-shops illuminated the street.
※ Choisy: パリの南側Choisy-le-Roiのことだろう。北緯48.76, 東経2.41